東福寺

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 寺院(臨済宗東福寺派)
アクセス JR奈良線・京阪本線東福寺駅徒歩10分。市バス東福寺。駐車場もあるが紅葉で混み合う期間は閉鎖。
概要 東福寺は京都市東山区本町にある臨済宗東福寺派の大本山寺院。
1236年(嘉禎二年)に九条道家が円爾(聖一国師)を開山として創建。室町時代には京都五山第四位とされた高い寺格を誇り、現在でも広大な敷地に多数の塔頭を抱える。
近年では紅葉の名所としても非常に人気が高く、秋の紅葉シーズン中は混雑するので注意。
見どころ 六波羅門三門本堂本坊庭園通天橋開山堂龍吟庵芬陀院天得院退耕庵万寿寺
拝観時間 4月-10月→9時~16時。11月-12月初旬→8時30分~16時。12月下旬-3月→9時~15時30分。
拝観料 通天橋・開山堂→400円、本坊庭園→400円
サイト http://www.tofukuji.jp/
住所 京都市東山区本町15-778

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東福寺の見どころ

六波羅門(惣門)

境内の最南端に位置する四脚門。
鎌倉幕府が朝廷監視のために設置した六波羅探題にあった門を移したものだとされ、足利尊氏の軍勢に探題が攻められ落とされた時に受けた矢の刺さった跡がある。

三門

六波羅門の奥に位置する五間三戸入母屋造本瓦葺の重層門。
現存する日本の禅寺の三門の中では最も古く、1412年(応永十二年)の建立で、国宝に指定されている。
楼上には釈迦如来や十六羅漢が安置され、柱や梁、天井には室町時代前の画僧明兆(1352-1431年)やその弟子達によって楽器などが描かれている。内部は普段非公開だが特別公開されることもある。「妙雲閣」の扁額は足利義持の筆によるもの。

本堂

1881年(明治十四年)の火災で方丈、仏殿、庫裡、法堂などが焼失した後、仏殿兼法堂として1934年(昭和九年)に再建されたのが現在の本堂。
高さ25.5m、間口41.4mと巨大で、昭和期に建てられた木造建築としては最大のもの。
高さ5丈あったという創建時の本尊釈迦如来像は焼失し(左手だけ残されている)、現在は万寿寺(三聖寺)から移した鎌倉時代の釈迦三尊像が安置されている。
普段は非公開だが、3月14日~16日に行われる涅槃会では公開され、明兆作の猫の描かれた珍しい大涅槃図を掛け法要が行われる。また天井には堂本印象(1891~1975)による蒼龍図が描かれている。

本坊庭園

方丈の東西南北に配置された庭園のことで、八相の庭とも呼ばれ、2014年に国の名勝に指定された。
作庭家の重森三玲(1896~1975)による鎌倉時代の庭園を基調とした設計で1939年(昭和十三年)に完成した。
方丈は1890年の再建で、昭憲皇太后から寄進された表門が建つ。

通天橋と紅葉

通天橋は本堂から開山堂へ向かって延びる橋で、洗玉澗という渓谷の上を通る。
この渓谷の周りは「通天もみじ」とも呼ばれる、葉先が三つに分かれた楓が一帯に植えられており、11月~12月にかけてが見ごろの紅葉は京都でも有数の名所として知られる。
元の橋は1380年(天授六年)に春屋妙葩が架けたとされるが、1959年(昭和三十四年)の伊勢湾台風で倒れ、現在の橋は1961年(昭和三十六年)にコンクリートで補強し再建したもの。

開山堂

通天橋を渡った奥に位置する建物で、常楽庵とも呼ばれる。
1819年(文政二年)に火事で焼失した後、1823年(文政六年)に再建されたもので、屋根には伝衣閣という楼閣が付属する。開山開山円爾像を安置する。

龍吟庵

偃月橋を渡ったところに位置する東福寺の塔頭の一つで、東福寺三世住持で南禅寺開山ともなった無関普門(大明国師)によって創建された。
足利義満筆の「龍吟庵」の扁額の掲げられた方丈は日本の方丈建築の中で最古のもので国宝に指定されている。
龍門苑とも呼ばれる庭は重森三玲によるもの。大明国師像を安置する。

芬陀院

東福寺の塔頭の一つで、関白一条内経が父の菩提を弔うために元享年間(1321年~24年)に創建した。
方丈南側には雪舟作と伝えられる庭園があり、雪舟寺の別名で呼ばれることもある。

天得院

東福寺三十世住持無夢一清禅師が正平年間(1346年~70年)に開いた塔頭で、明治の中頃、塔頭の本成寺を合併して復興された。
苔で覆われた枯山水庭園があり、桔梗や紅葉が美しい。普段は非公開だが、6月中旬~7月上旬、11月1日~30日には公開される。

退耕庵

1346年(貞和二年)に東福寺四十三世住持性海霊見によって創建された塔頭で、一時荒廃したが、安国寺恵瓊が1599年(慶長四年)に再建した。
関が原の合戦の前に石田三成と小早川秀秋らが密談したという茶作夢軒がある。
地蔵堂には小野小町作とされる地蔵菩薩像(玉章地蔵)があり、胎内には小野小町宛の恋文が収められている。

万寿寺

万寿寺は元々京都五山第五位に列せられた独立した寺院だったが、火災などで衰退し、天正年間(1573年-1592年)に東福寺の三聖寺の敷地内に移転した。
明治になると三聖寺を廃し、万寿寺として復活した。現在の東福寺の本尊はここから移されたもの。内部は非公開。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「大佛宝殿」、②「千手観音」、③「月輪殿」、④「正法眼蔵」、⑤「吹禅」、⑥「大弁財天」、⑦「文殊菩薩」、⑧「毘沙門天」、⑨「十万不動」、⑩「岩上観音」、⑪「白衣観音」、⑫「玉章地蔵」。
入手場所 ①方丈庭園の拝観受付、②は天得院、③は即宗院、④は龍吟庵、⑤、⑥は明暗寺、⑦は霊雲院、⑧は毘沙門堂勝林寺、⑨は同聚院、⑩は盛光院、⑪は一華院、⑫は退耕庵。
値段 1件500円(スタンプは300円)
オリジナル御朱印帳 龍雲図がプリントされた御朱印帳があります。
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歴史

現在東福寺の建つ辺りは藤原忠平が924年(延長二年)に建てた藤原氏の氏寺法性寺の敷地で、そこへ九条道家が1236年(嘉禎二年)、九条家の氏寺を建てることを計画したのが東福寺の始まり。
落慶供養が営まれたのは道家が無くなり息子の藤原頼経が跡を継いだ1255年(建長四年)で、開山には宋帰りの禅僧円爾(聖一国師)が招かれた。東福寺の名は東大寺興福寺から一文字づつとってつけられたという。
全建物が完成するのは1271(文永八年)になってからで、仏殿、法堂、三門、東司、方丈、五重塔や多数の塔頭を抱える巨大寺院となり、仏殿には高さ5丈という巨大な釈迦如来像が安置された。
初め天台、真言、禅宗の兼学だったが、後に禅宗のみと改め聖一派が住持を独占した。
度々の火災や震災でダメージを受けたが、室町幕府からは京都五山四位の寺格を与えられ保護され、豊臣秀吉や徳川家も寄進をするなど再建を支援している。
明治の初めには上知で寺領を失い、1881年(明治十四年)には火災で方丈、庫裡、法堂、仏殿を焼失した。国宝に三門、龍吟庵方丈、無準師範像、無準師範墨蹟などがある。

 
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