日吉大社

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス 京阪石山坂本線坂本駅から徒歩10分。JR湖西線比叡山坂本駅から徒歩20分。比叡山鉄道(坂本ケーブル)ケーブル坂本駅から徒歩5分。駐車場あり(紅葉のシーズンは混雑に注意)。
概要 日吉大社は滋賀県大津市坂本にある神社で、東本宮に大山咋神、西本宮に大己貴神を祀る。
社伝によれば、崇神天皇七年(前91年?)の創建といい、平安時代以降は最澄によって開かれた近くの延暦寺と一体となって朝野の崇敬を集めた。
全国に3000社近くあるといわれている日吉神社・日枝神社・山王社の総本社であり、現在も広大な敷地に多数の末摂社が建ち並ぶ。また紅葉の名所としても知られ、境内には約3000本のもみじが植えられているといい、11月~12月上旬の紅葉シーズンには多くの人で賑わう。
主な行事には、大戸開き神事(1月1日)、節分祭・豆まき(2月3日)、牛神楽祭(3月15日)、山王祭(4月12~14日)、茶摘祭(5月2日)、庖丁まつり(6月第一水曜)、大祓式(6月30日)、講員大祭(11月第二土曜日)、大祓式・除夜祭(12月31日)がある。
見どころ 山王鳥居東本宮樹下宮牛尾宮三宮西本宮宇佐宮日吉東照宮唐崎神社
拝観時間 9時~16時30分
拝観料 大人300円、小人150円(日吉東照宮は+150円)
サイト http://hiyoshitaisha.jp/
住所 滋賀県大津市坂本5-1-1

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日吉大社の見どころ

山王鳥居

山王鳥居とは鳥居の一種のスタイルのことで、鳥居上部の横木の上に木材を三角形に組んだもの。
日枝大社が発祥といわわれ、全国の日枝神社、山王社などで用いられている。

東本宮

境内入り口付近を流れる大宮川に架かる二宮橋の奥に位置するのが東本宮。
正面と両側面に庇を設けた日吉造と呼ばれる建築形式の本殿は1595年(文禄四年)の再建であり、比叡山の地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀る。

樹下宮

東本宮の境内にある摂社で、鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)を祀る。
三間社流造本殿は東本宮本殿と同じく1595年(文禄四年)の造営。共に重要文化財に指定されている。

牛尾宮

牛尾山(八王子山)山頂の奥宮にある摂社で大山咋神荒魂を祀る。本殿・拝殿は1669年(寛文九年)の建立。
振り返れば坂本の町並みや琵琶湖を一望することができる。

三宮

金大巌と呼ばれる大岩を挟んで牛尾宮と対面する建物が三宮で鴨玉依姫神荒魂が祀られている。
建物は1559年(慶長四年)の建立。奥宮は大山咋神がもともとこ祀られていた場所といわれる日枝大社発祥の地である。

西本宮

東本宮の対をなす日枝大社のもう一方の中心であり、大己貴神(おおあなむちのかみ)=大国主命を祀る。
本殿は1586年(天正十四年)の建立で、こちらも日枝造で建てられている。

宇佐宮

西本宮近くにある摂社で田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る。日吉造の社殿は1598年(慶長三年)の建立。

日吉大社では猿が魔除けの象徴として信仰されており、境内には実際に猿が飼われているほか社殿の彫刻などにも猿がよく登場する。
また授与所では、神猿お守り、神猿おみくじ、神猿絵馬などを求めることもできる。

日吉東照宮

日吉大社から徒歩で10分程のところにある末社で、徳川家康を祀る。
1623年(元和九年)に家康のブレーンだった天台宗の僧天海によって創建され、延暦寺によって管理されていたが明治の神仏分離令の際に日吉大社の末社となった。
社殿は本殿と拝殿が石の間を挟んで一体となった権現造と呼ばれる形式で建てられており、日光東照宮の原形になったといわれている。拝観料200円(日吉大社と共通なら150円)。

唐崎神社

日吉大社の摂社のひとつで、琵琶湖西岸(滋賀県大津市唐崎1-7-1)に建つ。
祭神女別当命は、633年(舒明天皇六年)にこの地に居住した日吉大社の神職・琴御館宇志丸宿禰の妻だといわれ、婦人病平癒にご利益があるとして信仰を集めている。近江八景のひとつ「唐崎の夜雨」としても知られる。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「日吉大社」(金字バージョンあり)、②「西本宮」、③「東本宮」、④「宇佐宮」、⑤「牛尾宮」、⑥「白山宮」、⑦「樹下宮」、⑧「三宮」、⑨「大比叡大明神」、⑩「小比叡大明神」、⑪「聖真子権現」、⑫「八王子権現」、⑬「客人権現」、⑭「十禅師権現」、⑮「三宮権現」。
貰える場所 いずれも西本宮の授与所でいただけます。
値段 1件300円(金字は500円)。
オリジナル御朱印帳 山王鳥居と紅葉が描かれたオリジナル御朱印帳があります。サイズは16㎝×11㎝、値段は1200円。
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歴史

大山咋神は「古事記」に登場する神であり、「近淡海国の日枝の山(=比叡山)に座し」と記されていることから比叡山を神格化したものとも考えられ、社伝では崇神天皇七年(前91年?)に大山咋神を祀る社が建てられたのが日吉大社の始まりとされている。
一方大己貴神は、667年(天智天皇七年)に天智天皇が造営した大津京の鎮護のために大和の三輪山(大神神社)から勧請され、合わせて祀られるようになった。
都が平安京に遷ると京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として信仰を集め、二十二社の制では下八社の一つに列せられている。
788年(延暦七年)、最澄が比叡山に延暦寺を創建すると天台宗の護法神として崇敬されるようになり、唐の天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君に因んで比叡神(大比叡=大己貴神と小比叡=大山咋神)を山王としたことから山王権現と呼ばれるようになった。
やがて天台宗の影響を受けた山王神道が生まれるなど神仏習合が進み、延暦寺と一体となって強訴を繰り返すなど強大な勢力を築いた。
しかし強大になりすぎた比叡山は世俗権力との対立を深め、1571年(元亀二年)には織田信長に攻められて、延暦寺も当社もことごとく焼き払われている。
その後、豊臣秀吉や徳川家康の支援で復興が進められ、現存する多くの建物はこの頃に建てられている。
明治に入ると神仏分離令の影響から仏教的要素は排除さて延暦寺と切り離されたが、現在も毎年5月には延暦寺の僧が西本宮で山王礼拝講を行うなど神仏習合時代の名残りがみられる。
1871年(明治四年)には官幣大社に列せられている。

 
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