大山寺

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基本情報

知名度 ★★
平均評価


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種類 寺院(真言宗大覚寺派)
アクセス 小田急伊勢原駅から大山ケーブル駅行バスで終点下車、徒歩30分。大山ケーブルカー 大山寺駅から徒歩3分。駐車場あり。
概要 雨降山大山寺は神奈川県伊勢原市にある真言宗大覚寺派の寺院。
寺伝によれば奈良時代に東大寺初代別当の良弁が創建したとされ、江戸時代には広く信仰を集めて大山王詣でが盛んに行われたが、明治初めの神仏分離、廃仏毀釈により大山阿夫利神社と切り離され現在地へ移った。
千葉県成田市の成田山新勝寺、東京都日野市の高幡不動と共に「関東三不動」のひとつとして知られる。
主な行事には元朝大護摩供修行(1月1日)、春山花祭(5月5~20日)、夏山祭り(7月27日~8月17日)、もみじ祭(11月8日~12月8日)、納め不動(12月28日)、除夜の鐘(12月31日)がある。
見どころ 大師堂鐘楼本堂宝篋印塔
拝観時間 8時~17時
拝観料 境内自由
サイト http://www.oyamadera.jp/
住所 神奈川県伊勢原市大山724

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大山寺の見どころ

大師堂

本堂の手前にある小さな御堂で、1907年(明治四十年)の建立。堂内には93体の弘法大師の小像が安置さている。

鐘楼

大山寺には徳川家光によって寄進された梵鐘があったが、明治のはじめに廃仏を唱える暴徒によって破壊され(銘文のみが阿夫利神社に残る)、現在鐘楼に吊るされている鐘は1949年(昭和二十四年)に造られたもの。

本堂(不動堂)

現存する建物は信徒からの浄財で1855年(明治十八年)に再建されたもので、代々大山寺の建築を手掛けてきた宮大工の手中明王太郎の作。
堂内に安置されている本尊の不動明王像は鎌倉時代に当寺を再興した願行上人が鋳造したもので、鉄製と珍しく二童子像と共に重要文化財に指定されている(毎月8・18・28日に開帳)。
なお、同じ時に願行が試作として鋳造した不動明王小像、通称「試みの不動」は願行が住持を務めていた鎌倉の大楽寺に安置され、大楽寺が廃寺となった後は覚園寺に移されて現存する。

宝篋印塔

本堂の左側にある高さ約11mの巨大な石塔。
かつて大山寺境内には1795年(寛政七年)に建てられた宝篋印塔があったが、こちらも明治の初めに破壊され、現存するものは1914年(大正三年)の再建。紅葉の名所としても有名。

御朱印・御朱印帳

種類 ①関東三十六不動霊場第一番「大山鉄不動明王」の御朱印、②関東八十八箇所六十番「大山鉄不動明王」の御朱印。
貰える場所 本堂内の納経所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないようです。
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歴史

当地は古くから霊地として知られており、寺伝によれば755年(天平勝宝七年)に東大寺別当良弁が聖武天皇の勅願寺として創建したのが始まりといい、行基弟子である2世住持光増が不動明王像を刻み諸堂を建て、3世住持には弘法大師空海が就いたとされる。
878年(元慶二年)に地震に伴う火災で諸堂を焼失し、884年(元慶八年)に五世として入山した安然が再建するもその後は衰微し、鎌倉時代の文永年間(1264-75年)に鎌倉大楽寺(現存せず)の願行上人によって復興された。
江戸時代はじめには徳川家光の乳母である春日局が参詣して家光が将軍職を継げるように祈り、1640年(寛永十六年)には江戸幕府第三代将軍となった家光の寄進で伽藍が造営された。
また江戸時代中頃からは庶民の間にも信仰が広がり「大山詣」が盛んに行われ参詣者で賑わうようになった。
しかし、明治に入ると神仏分離令により元々一体の存在だった阿夫利神社と切り離され、現在大山阿夫利神社下社が建つ場所にあった本堂は破壊され、現在地への移転を余儀なくされた。

 
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