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基本情報
知名度 | ★★★★★ |
平均評価 | |
種類 | 寺院(単立) |
アクセス | JR宇治駅下車徒歩10分。京阪電車京阪宇治駅徒歩10分。専用駐車場なし。→詳細 |
概要 |
平等院は京都府宇治市宇治にある単立寺院。 藤原道長の別荘宇治殿が起源で、引き継いだ子の頼通が1052年(永承七年)に仏教寺院とし平等院と号した。 鳳凰堂の名で知られている阿弥陀堂、木造阿弥陀如来坐像、木造雲中供養菩薩像52躯、木造天蓋、鳳凰、梵鐘、木造天蓋、木造雲中供養菩薩像52躯が国宝に指定されており、1994年(平成六年)には対岸の宇治上神社と共に世界遺産に登録された。 |
見どころ | 鳳凰堂、鳳翔館、観音堂、源頼政の墓、浄土院 |
拝観時間 | 8時30分~17時30分。平等院ミュージアム鳳翔館→9時~17時、鳳凰堂内部→9時10分~16時10分 |
拝観料 | 庭園+平等院ミュージアム鳳翔館→大人600円・中高生400円・小学生300円、鳳凰堂内部拝観→300円 |
サイト | http://www.byodoin.or.jp/ |
住所 | 京都府宇治市宇治蓮華116 |
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平等院の見どころ
鳳凰堂(阿弥陀堂)
1053年(天喜元年)に完成したもので、他の建物が幾度も焼失するなか創建当初の姿を留めている。
中堂を中心として左右に翼廊と楼閣があり、背後には尾廊がある。この形が羽を広げた鳳凰のようなことが名前の由来だといわれ、中堂両端には鳳凰の像が載せられている。
鳳凰堂は阿宇池の中島に建てられており、水面に写る姿も美しい。
中堂内部の須弥壇には本尊の阿弥陀如来像(国宝)が安置されている。藤原時代を代表する仏師・定朝(???-1057年)の作で、1053年(天喜元年)に京から移された。
正面中央の屋根を切り下げ、須弥壇の中央の扉の内格子上部に窓を設けているのは、外からでも阿弥陀如来像を拝めるようにするためである。
上部には宝相華透し彫りで装飾された天蓋が吊るされおり、こちらも国宝に指定されている。
また、長押の上の壁面には52躯の供養菩薩像が掛けられており、板壁と扉には九品来光図が描かれている。拝観は20分毎に1回50名様で見て回る形となる。
鳳翔館
平等院に伝わる寺宝を展示していた宝物館の老朽化が進んだために2001年(平成十三年)に開館したもので、宗教法人初の登録博物館となっている。
建物の設計は栗生明氏によるもので、境内の景観を損なわないよう大半が地下構造となっている。
園城寺(三井寺)や神護寺のものと共に日本三名鐘の一つに数えられる梵鐘、雲中供養菩薩像52躯の内26躯、観音堂の本尊だった十一面観音立像、屋根に飾られていた鳳凰などが常設展示されている。
また、コンピューターグラフィックスによって再現された創建当初の堂内の色彩も見ることができる。
観音堂
宇治川沿いに建つ建物で、鎌倉時代初期に本堂跡に建てられたとされる。正面七間、側面四間、単層寄棟造。本尊は十一面観音像だが、現在は鳳翔館で展示されている。
源頼政の墓
源頼政(1104-1180年)は平安時代末期の武将・政治家で、平氏が政権を独占するなか後白河天皇の皇子以仁王と結び平氏打倒の兵を挙げた。
宇治で合戦となったがすぐに鎮圧され、逃れた頼政は平等院で自刃した。
境内にはその跡地とされる場所があり、傍らには頼政が残した「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」という和歌が彫られた石碑が立つ。
なお、頼政と以仁王の挙兵は各地の武士を励まし、平氏政権崩壊のきっかけとなった。
浄土院
鳳凰堂の裏手にある平等院の塔頭の一つ。
浄土宗の栄久上人が、明応年間(1492年~1501年)に創建したと伝えられ、阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを所蔵する。内部は非公開。
御朱印・御朱印帳
種類 | ①「鳳凰堂」の御朱印、②「阿弥陀如来」の御朱印、③「不動明王」の御朱印。 |
貰える場所 | ①は浄土宗の塔頭浄土院の納経所で、②、③は天台宗の塔頭最勝院の納経所で。 |
値段 | 1件300円 |
オリジナル御朱印帳 | 「平等院」と入っただけのシンプルな御朱印帳や鳳凰堂が描かれた御朱印帳があります。 |
歴史
平安時代にはこの辺りは貴族の別荘地となっていたといい、摂政となり強大な権力を握った藤原道長は995年(長徳四年)、左大臣源重信の未亡人から宇治殿と呼ばれた別荘を買い取った。
1027年(万寿四年)、道長が亡くなると宇治殿は子の頼道に受け継がれ、末法思想に影響を受けた頼道によって1052年(永承七年)に寺院に改められた。1053年(天喜元年)には現在も残る阿弥陀堂(鳳凰堂)が完成し、法華堂、多宝塔、五大堂、経蔵、五大堂、護摩堂、円堂など多数の堂宇が建てられた。
藤原時代には周辺に一族の邸宅も立ち、多いに栄えたが源平の争乱で一時衰退し、1336年(建武三年)には、楠木正成と畠山高国の戦いに巻き込まれ、ほとんどの建物が焼失した。
その後徐々に復興して、現在へいたる。1994年(平成六年)には古都京都の文化財の一部としてユネスコの世界遺産に登録された。庭園は国の史跡・名勝に指定されている。
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