新薬師寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(華厳宗)
アクセス JR・近鉄奈良駅から奈良交通バス市内循環で「破石町」下車徒歩10分。駐車スペース数台分あり。
概要 新薬師寺は奈良県奈良市高畑町にある華厳宗寺院。
747年(天平十九年)、光明皇后が聖武天皇の眼病平癒を願って七仏薬師を造らせ金堂を建てたのが始まりとされる。
境内には東門、南門、本堂、鐘楼、地蔵堂、香薬師堂などが建ち、萩、桜、彼岸花、紅葉などの植物も楽しめる。
貴重な文化財も多く、本堂の建物とその内部に安置されている木造薬師如来坐像・塑造十二神将立像は国宝に指定されている。主な行事には初薬師(修正会、1月8日)と修二会(4月8日)がある。
見どころ 南門鐘楼本堂東門地蔵堂
拝観時間 9時~17時
拝観料 大人600円、中高生350円、小学生150円、
サイト http://shinyakushiji.or.jp/
住所 奈良県奈良市高畑町1352

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新薬師寺の見どころ

南門

境内入り口に建つ四脚門。正確な年代は不明だが鎌倉時代後期の建築とみられ、国の重要文化財にしていされている。

鐘楼

南門を入って右側に建つ建物で、鎌倉時代の建築。吊るされている天平時代の銅鐘(重文)は元興寺から移されたもので、「日本霊異記」にある道場法師の鬼退治の話に登場し、鬼の爪痕が残っているとも言われる。

本堂

境内中心に位置する正面7間側面5間、入母屋造本瓦葺の仏堂。奈良時代の創建当初から残る建物で、当初は本堂としてではなく密教の修法を行うために使われていたとされる。内部には白漆喰で築かれた円形の土段があり、その上に本尊の薬師如来像と十二神将を安置する。

薬師如来立像

円形土段の中央に安置される新薬師寺の本尊。像高は191.5cmと大きく、背光には本尊と同じ姿をした小仏が6体つく。七仏薬師と呼ばれるはこのためである。光明皇后が聖武天皇の眼病平癒を願って造らせたという創建に纏わる話に関係あってか大きく見開いた目が特徴的。しかし造られて年代は創建時よりやや下って平安時代初期だと考えられている。

十二神将立像

十二神将とは薬師如来を守護するとされる12柱の神で、本尊を取り囲むように安置されている。近くの岩淵寺から移されたともされ、1931年(昭和六年)の捕作である宮毘羅大将(波夷羅大将)以外は天平期の作。険しい表情の迷企羅大将像(伐折羅大将像)が特に有名。

東門

境内東側にたつ四脚門。南門よりはやや古く、平安時代後期から鎌倉時代初期の建立だと考えられている。

地蔵堂

本堂の手前にある裄行三間、梁行二間、入母屋造本瓦葺の建物。鎌倉時代の建立で、堂内には鎌倉時代の十一面観音立像や南北朝時代の地蔵菩薩立像を安置する。

御朱印・御朱印帳

種類 中央の墨書は「薬師如来」1種類。右上は日輪山、大和十三仏霊場第七番、西国四十九薬師霊場第六番、大和北部八十八ヶ所霊場第八番のいずれか。
入手場所 本堂内の朱印所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 シンプルなデザインの御朱印帳があります。サイズは18×12㎝、値段は1200円。
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歴史

747年(天平十九年)、光明皇后(藤原光明子)が聖武天皇の病気平癒を願って金堂と七仏薬師像を建立したのが始まりとされるが、聖武天皇自身による創建とする伝承もある。平城右京(現西ノ京町)の薬師寺に対して新薬師寺と呼れ、香山薬師寺や香山寺とも称されたが、香山寺は違う寺院とする説もある。
奈良時代には巨大な寺院だったとみられるが、780年(宝亀十一年)に落雷で西塔を焼失したのをはじめ何度か自然災害に遭い次第に衰微した。
1180年(治承四年)の南都焼討では焼けずにすみ、鎌倉時代には南門・東門・鐘楼・地蔵堂など今日も残る建物が建立されたが、中世末期には再び荒廃した。
江戸時代には徳川家康によって100石を安堵され、1698年(元禄十一年)には徳川綱吉の生母・桂昌院の寄進で薬師如来像や十二神将を修理している。

 
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