伊勢神宮

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス 外宮:JR・近鉄伊勢市駅から徒歩5分。近鉄宇治山田駅から徒歩10分、外宮から内宮へは徒歩50分、バス10分。内宮:近鉄鳥羽線五十鈴川駅から徒歩30分、バス、タクシー6分。→詳細
概要 三重県伊勢市にある神社で正式には伊勢はつかず単に「神宮」という。
「日本書紀」によれば、垂仁天皇二十六年(前4年?)、宮中に祀られていた天照大神を倭姫が当地に祀ったのが始まりであり、雄略天皇二十二年(478年?)に豊受大御神を祀る外宮が建てられたという。
その後、皇祖神を祀る神社として特別な地位をしめ、江戸時代には伊勢詣での対象として庶民の人気も集めた。
神宮は天照大御神を祀る内宮と豊受大御神を祀る外宮を中心に別宮、末摂社、計125社の総称であり、社地も飛び地になっている(拝観の順番は外宮→内宮が推奨されている)。
主な行事には、歳旦祭・初詣(1月1日)、祈年祭(2月17~23日)、神御衣奉織始祭(5月1日・10月1日)、神御衣祭(5月14日・10月14日)、月次祭(6月15~25日・11月15~25日)、神嘗祭(10月15~25日)、新嘗祭(11月23~29日)がある。
見どころ 外宮エリア豊受大神宮多賀宮風宮土宮せんぐう館)、月夜見宮内宮エリア皇大神宮荒祭宮風日祈宮)、月読宮倭姫宮
拝観時間 1-4月・9月→5時~18時、5-8月→5時~19時、10-12月→5時~17時。祈祷受付→8時~16時。お守り・お神札の授与→6時~参拝終了時間まで。
拝観料 境内自由
サイト http://www.isejingu.or.jp/
住所 内宮:三重県伊勢市宇治館町1、外宮:三重県伊勢市豊川町279

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伊勢神宮の見どころ

豊受大神宮=外宮

皇大神宮=内宮と共に伊勢神宮の中心をなす正宮のひとつ。
祭神豊受大神=豊宇気毘売神は「古事記」によれば、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷を負った際に苦しみ排泄した尿から生まれた和久産巣日(ワクムスヒ)の子であり、伊勢神宮外宮に伝わる社伝によれば、雄略天皇の夢に天照大神が現れ、御饌(神に奉げられる食物)を司る神として丹波国比沼真奈井にいる等由気大神(トヨウケノオオカミ)を招くよう告げたため、現在地に遷宮されたという。
従来、食物・穀物の神であり、現在では衣食住や産業全般の守護神としても崇敬されている。
外宮の建物群は板垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣で4重に囲まれており、一般の参拝者が立ち入りことのできるのは外玉垣南御門の前までであり、ここから拝むことになる。
内宮などと共に20年ごとの式年遷宮が行われ、隣には次の遷宮先である新御敷地が確保されている。

多賀宮

正宮に次ぐ各を持った別宮(わけみや)のひとつ。
外宮の別宮の中でもっとも古く、外宮ができると同時期の創建とさ、外宮に属する四別宮の第一位に列されている。高台にあるため以前は高宮と呼ばれ、現在も多賀宮と書いてたかのみやと読む。
豊受大御神の荒魂(霊魂の持つ荒々しい側面⇔和魂)である豊受大御神荒魂を祀り、祭事は正宮に準じて行われる。

風宮

別宮のひとつで、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀る。
祭神は風の神であり、はじめ小さな社に祀られ農業に適した風雨をもたらすよう祈りがささげられていたが、鎌倉時代後期の蒙古襲来の際に神風をおこし蒙古軍を蹴散らしたのがこの神とされたことから別宮に昇格し、国を守護する神としても崇敬を受けるようになった。

土宮

別宮のひとつで、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀る。
祭神は古くから信仰されていたこの土地の地主神であり、1128年(大治三年)に度々洪水を起こした宮川の堤防の守護神として別宮に昇格した。

せんぐう館

外宮エリアにある博物館で、20年ごとに行われる神宮式年遷宮の歴史や建築に使われる技術などを映像、資料、模型を使って展示する。
開館時間9時~16時30分(入場は16時)、毎月第4火曜日(祝日の場合翌日)休館。料金は大人300円、小中学生100円。

月夜見宮

月夜見宮も外宮の別宮のひとつだが少し離れたところ(伊勢市宮後1-3-19)にあり、飛び地となっている。
天照大神の弟神である月夜見尊(つきよみのみこと)とその荒魂である夜見尊荒御魂を同殿に祀る。伊勢駅から徒歩約6分。

皇大神宮=内宮

豊受大神宮と並ぶ伊勢神宮の正宮で、天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀る。
祭神は、「古事記」によればイザナギが黄泉国の穢れを清める際に生み出した三貴子(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)の一人であり(「日本書紀」ではイザナミも生誕に関わっている)、イザナギから高天原(神々の住む天上世界)の統治を任せられ、その子孫であるニニギノミコトは神宝八咫鏡を持って地上に降って天皇家の祖となった。
天照はその後、八咫鏡を御神体として宮中に祀られていたが、崇神天皇の代に豊鍬入姫命により笠縫邑に遷され、垂仁天皇の代に倭姫命によって現在地に祀られることとなった。
内宮の建物群は板垣、外玉垣、内玉垣、蕃垣、瑞垣で五重に囲まれ、一般の参拝者が立ち入れるのは外玉垣南御門までとなっている。
鰹木、鰹木を置いた切妻造、平入を特徴とした正殿の建築様式は唯一神明造と呼ばれる。直接の写真撮影(石段下までは可)は禁止されているので注意。

荒祭宮

内宮に属する別宮のひとつで、天照大神の荒魂である天照大神荒魂を祀る。
正宮と同時期に建てられたとされ、別宮の中で第一に列格され、祭事も正宮に次いで行われる。

風日祈宮

内宮別宮のひとつで、外宮の風宮と同じく級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀る。周辺では紅葉や新緑も美しい。

月読宮

内宮の別宮のひとつだが境外(三重県伊勢市中村町742-1)にある。
ツクヨミの荒魂を祀る月読荒御魂宮、ツクヨミを祀る月読宮、イザナギを祀る伊佐奈岐宮、イザナミを祀る伊佐奈弥宮が並んで建つ。近鉄鳥羽線五十鈴川駅から徒歩約10分。

倭姫宮

倭姫宮も境外(三重県伊勢市楠部町字赤井谷5)にある別宮。垂仁天皇の第4皇女であり、伊勢神宮の創建者である倭姫命(やまとひめのみこと)を祀る。
地元住民などから倭姫命を祀る神社の創立を求める声が高まり、1923年(大正十二年)に創建された。近鉄五十鈴川駅から徒歩約17分、宇治山田駅から徒歩18分。
また倭姫宮の近くには神宮徴古館・神宮美術館・神宮農業館が建ち、伊勢神宮ゆかりの品々が展示されている。

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歴史

「日本書紀」によれば、天照大神ははじめ大和の皇居内に祀られたいたが、第十代の崇神天皇は畏れをなして崇神天皇六年(前92年?)、豊鍬入姫命に命じて笠縫邑(場所は不明)に遷させた。
さらに、豊鍬入姫命の後を継いだ第十一代垂仁天皇の皇女倭姫は天照を祀るのにより良い場所を探し、伊賀、近江、美濃などを巡った後、垂仁天皇二十六年(前4年?、垂仁天皇二十五年とも)、五十鈴川の畔に辿りつき、天照の神託を受けてここに神殿を建てた。
また、雄略天皇二十二年(478年?)に天皇が夢で天照大神から受けたお告げにより、丹波国比治の真奈井の原から豊受大神が勧請され、外宮が創建された。
倭姫の後も未婚の皇女が斎王(斎宮)として伊勢神宮に奉仕する習わしができ(実際には天武天皇の大来皇女が初代とされる)、天皇家との強い結びつきのもと広大な神領を所有した。
中世になると武士の伸長などにより所有地は徐々に侵食されるようになったが、鎌倉時代から室町時代にかけては伊勢御師(寺社に属して祈祷や参詣の勧誘を行う人々)の活躍のもと全国に信仰を広めた。
しかし、室町時代になると疲弊が目立つようになり、天武天皇によって定められ、690年(持統天皇四年)に初めて行われた神宮式年遷宮の制も長らく中断されることとなった。
その後、世情が安定すると伊勢神宮でも復興が進み、1563年(永禄六年)には慶光院(廃寺)の住持清順の尽力のもとおよそ130年ぶりに外宮の遷宮が行われている。
1583年(天正十一年)には伊勢国司北畠信雄から2500貫、1594年(文禄三年)には豊臣秀吉から4600石の寄進を受け、江戸幕府は6200石を朱印地と認めている。
江戸時代には再び御師の活動が盛んになり、やがておかげ参り(お伊勢参り)は大ブームとなった(旅が困難な時代だったのでしばしば旅費を積み立て選ばれた人が集団で参拝する伊勢講がしばしば組まれた)。
明治に入ると国家神道の中心的な神社となったが、戦後は一般の宗教法人となっている。

 
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