鶴岡八幡宮の歴史

平安時代

鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖先にあたる源頼義は1036年(長元九年)に相模守を務めると当地の武士への影響力を強め、東国に勢力圏を築いた。その後、奥州で豪族安倍氏の反乱(前九年合戦)が起こると陸奥守兼鎮守府将軍として息子の義家と共に鎮圧にあたり、1062年(康平五年)には乱の平定に成功した。
この戦いに向かう前、京都の石清水八幡宮で戦勝を祈願していた頼義は八幡神への感謝として石清水八幡宮を勧請して海岸近くの由比郷鶴岡に社を建て鶴岡若宮と称した(神奈川や東京には似たような由緒を持つ神社が多数ある。→今戸神社、→大宮八幡宮).
これが鶴岡八幡宮の前身であり、1081年(永保元年)には息子の八幡太郎義家によって社殿が修復されている。

源義家家系図源義家家系図

鎌倉時代

伊豆で挙兵した頼朝は1180年(治承四年)に鎌倉に入ると、この源氏ゆかりの鶴岡若宮を小林郷北山(現在の下拝殿付近)に遷し、鶴岡八幡新宮若宮と称した(旧地にも社は残され、元八幡として現存している)。
さらに1182年(寿永元年)には当神社から海への延びる若宮大路や社殿前の池(現在の源平池)を造営するなど鎌倉の町の中心として整備されていった。
1191年(建久二年)、町で起こった火災の火をもらい社殿を悉く焼失したため、大臣山の中腹に新たな社殿を建て、改めて石清水八幡宮を勧請して鶴岡八幡宮と称した。
この時、山下の若宮も再建されたため、現在もそうであるように上下両宮の構成となった。
運営は真言宗系の供僧を中心に行われ、その長として別当職が置かれた。初代別当には頼朝の親類である園城寺(三井寺)の円暁が、またこれと別に置かれた初代神主には大伴清元が就任している。

室町・戦国時代

1333年(元弘三年)、新田義貞が鎌倉に攻め入り鎌倉幕府が崩壊すると鶴岡八幡宮は庇護者を失ったが、足利氏も源氏の出身であり、尊氏は社領を寄進するなど当社を保護している。
また鎌倉には室町幕府が東国を支配するための機関である鎌倉府が置かれたので、幕府が滅びた後もすぐに荒廃することはなかった。
しかし、1455年(康正元年)に幕府と対立した鎌倉公方(鎌倉府の長官)足利成氏が下総国古河に去り、戦国時代に突入すると鎌倉の町は次第に廃れていった。
戦国時代に相模国の支配者となった北条早雲は1512年(永正九年)に当社に参詣し復興の意思を示したが、1526年(大永六年)、里見義豊・実堯と早雲の子である北条氏綱の戦いに巻き込まれて社殿を焼失。
氏綱はその後、社殿の建て替えを行い、1540年(天文九年)に新たな社殿が完成している。
1590年(天正十八年)にはその後北条氏を滅ぼした豊臣秀吉が参詣し、東国を所領した徳川家康に社殿の修復を命じている。

江戸時代

1626年(寛永三年)、家康時代の造り替計画を引き継いだ江戸幕府第二代将軍徳川秀忠のもと大塔、護摩堂などが完成し装いを新たにしたが、この時の社殿は1821年(文政四年)に起きた火災で失われている。
現存する主な建物はその後の再建で1828年(文政十一年)には 江戸幕府11代将軍徳川家斉の支援で本殿が完成している。
 
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明治以降

明治に入ると神道と仏教の分離を求める神仏分離令が制定され多くの寺社に多大な影響を与えた。
鶴岡八幡宮でも供僧は神職に転身し、仏堂は全て破壊されるなどの影響を受け、今日に近い景観が形成された。
近代社格制度のもとでは1882年(明治十五年)に官幣中社列せられたが、戦後この制度は廃止され、現在は宗教法人によって運営されている。

簡単な年表

1063年(康平六年)  源頼家が石清水八幡宮を勧請して由比若宮を創建。
1081年(永保元年) 源義家、由比若宮を修復。
1180年(治承四年) 源頼朝、由比若宮を現在地付近の小林郷北山に遷す。
1182年(寿永元年) 若宮大路や源平池が造られる。
1190年(建久元年) 火災で焼失。
1219年(承久元年) 第三代将軍源実朝、鶴岡八幡宮で暗殺される。
1296年(永仁四年) 火災で上下両宮などを焼失。
1333年(元弘三年) 鎌倉幕府滅亡。
1455年(康正元年) 鎌倉公方、古河へ移る。
1512年(永正九年) 北条早雲、鶴岡八幡宮に参詣。
1526年(大永六年) 里見義豊・実堯と北条氏綱の戦いに巻き込まれて社殿を焼失。
1532年(天文元年) 北条氏綱によって社殿の再建が開始される。
1821年(文政四年) 火災で多くの建物を焼失。
1868年(明治元年) 神仏分離令。
1923年(大正十二年)関東大震災発生、一部建物が被害を受ける。
2010年(平成二十二年) 強風で大銀杏が倒壊。

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鶴岡八幡宮の基本情報

知名度 ★★★★★
種類 神社
アクセス 鎌倉駅から徒歩10分。専用駐車場一時間600円。周辺には有料駐車場もあり。
概要 鶴岡八幡宮は神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社で、鎌倉一の人気観光スポットとして知られる。
1063年源頼義により由比郷に創建されたのが始まりであり、1180年、鎌倉に入った幕府の創建者源頼朝によって現在地に遷された。
境内は広く、本殿や末摂社の他にも神奈川県立近代美術館鎌倉館鎌倉国宝館、鶴岡八幡宮鶴岡幼稚園などがある。
主な行事に歳旦祭(1月1日)、鶴岡厄除大祭(節分直近の土日を含む3日間)、蛍放生会(6月上旬)、実朝祭(8月9日)、例大祭(9月15日)、流鏑馬神事(9月16日)がある。
拝観時間 5時~21時(授与所等は8時30分~17時)
拝観料 境内自由(宝物殿は大人200円、小人100円)
ページ //kankou-map.com/kamakura/hachiman
住所 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31

 
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