豊国神社

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス 京阪電車七条駅から徒歩10分。市バス博物館・三十三間堂下車徒歩5分。無料駐車場あり。
概要 豊国神社は京都府東山区大和大路正面茶屋町にある神社で、豊臣秀吉を祀る。
1598年(慶長三年)、秀吉の死を受けて創建。大阪の陣による豊臣家滅亡後、徳川家康よって廃絶されたが、1868年(明治元年)に復興され近代社格制度の元では別格官幣社に列せられた。
境内には国宝の唐門、秀吉関係の文化財を展示する宝物館、秀吉を祀る本堂、秀吉の正室北政所を祀る摂社の貞照神社などがある。なお秀吉を祀る豊国神社は大阪、名古屋、滋賀にもある。
見どころ 唐門、宝物館、豊国廟
拝観時間 9時~16時30分
拝観料 境内自由(宝物館300円、豊国廟は100円)
サイト なし
住所 京都市東山区大和大路正面茶屋町530

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豊国神社の見どころ

唐門

参道正面に立つ四脚門。南禅寺金地院から移築したもので元々は伏見城の遺構だといわれている。
豪華絢爛な装飾を施した桃山期を代表する建築物であり、国宝に指定されている。
唐門左右には諸大名が秀吉の死を悼んで奉納した慶長灯篭と呼ばれる石灯籠が並ぶ。かつては56基あったそうだが、現在は8基だけが残されている。

宝物館

秀吉の遺品などを収蔵展示するための施設。
主な収蔵品に伝粟田口吉光薙刀直シ刀、蒔絵唐櫃、狩野内膳筆の豊国祭礼図屏風、辻与次郎作の鉄燈篭などがある。

豊国廟

阿弥陀ヶ峰(東山区今熊野北日吉町61-1)にある秀吉の墓とそれを拝むための拝殿で、豊国神社の飛び地境内となっている。
拝殿のある場所は旧豊国神社が建てられた跡地で山頂の墓に向かっては約500段の石段が続く。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「寿比南山 関白 福如東海」または「寿比南山 豊国大明神 福如東海」(寿比南山福如東海は長寿を願う言葉だそうです。また毎月18日と正月?は社紋の印がゴールドになるようです)の御朱印、②「豊国廟」の御朱印
入手場所 ①は豊国神社境内の授与所、②は豊国廟の授与所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 骨喰藤四郎という刀が描かれたオリジナル御朱印帳が販売されています。値段は1200円。
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歴史

豊臣秀吉は1598年(慶長三年)に亡くなるが初めその死は公表されず遺体は伏見城内に安置されいたが、翌1699年(慶長四年)にようやく公表され、遺言により阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬し、麓に社殿を建立した。
これが豊国神社の始まりで、同年後陽成天皇から正一位の神位と「豊国大明神」の神号が贈られた(創建には吉田神社神主の吉田兼見が深く関わったとされる)。
1601年(慶長六年)には豊臣秀頼から一万石の社領を寄進され、その財力を背景に壮大な社殿が建てられた。また、秀吉の年忌には諸大名を集め豊国祭が行われ、特に慶長九年に行われた秀吉公七回忌の臨時礼祭は有名で、「豊国祭図屏風」に描かれているため後世にもその盛大さが伝えられている。
しかし、1615年(元和元年)に大阪の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川家康により社領を没収され神体は方広寺境内に遷され、更に修理を禁じられたため社殿もやがて荒廃した。
1868年(明治元年)、明治天皇の命によって復興が開始され、1873年(明治六年)には別格官幣社となり、1880年(明治13年)、方広寺大仏殿跡地である現在地に社殿が完成した。

 
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