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基本情報
知名度 | ★★★★ |
平均評価 | |
種類 | 寺院(律宗) |
アクセス | 近鉄橿原線西ノ京駅徒歩10分。 奈良交通バス唐招提寺下車すぐ。駐車場あり(乗用車500円) |
概要 |
唐招提寺は奈良県奈良市五条町にある律宗の寺院。 日本に戒壇を設立するために唐から来日した僧・鑑真が東大寺を去った後の759年(天平宝字三年)、新田部親王の旧宅の地を与えられ道場としたのが始まりで、後に鑑真の死後弟子たちによって伽藍が整備され本格的な寺院となった。 大きな災害に遭わなかったため古い建物が多く残り、廬舎那仏像・千手観音像・鑑真和上像など優れた仏像も多い。 主な行事には、中興忌梵網(うちわ撒き、5月19日)、開山忌舎利会(6月5、6日)がある。 |
見どころ | 南大門、金堂、講堂、鼓楼、経蔵・宝蔵、新宝蔵、御影堂 |
拝観時間 | 8時30分~17時(受付は16時30分) |
拝観料 | 大人600円、中高生400円、小学生200円(御影堂は大人500円、新宝蔵は大人200円が別途必要) |
サイト | http://toshodaiji.jp/ |
住所 | 奈良県奈良市五条町13-46 |
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唐招提寺の見どころ
南大門
唐招提寺の入り口に聳える5間3戸切妻造の門。1960年(昭和三十年)、かつて南大門が建っていた礎石の上に創建時の様式に則って再建された。正面に掲げられている「唐招提寺」の扁額は孝謙天皇(718-770年)の宸筆だが、現在掲げられているのは複製で本物は講堂に収蔵されている。
金堂
南大門の正面に位置する正面7間側面4間、単層寄棟造本瓦葺の建物。鑑真の弟子如宝によって宝亀年間(770~81年)に建てられたと考えられ、修理はされているものの天平時代の金堂の唯一の遺構であり、国宝に指定されている。2000年(平成十二年)から大規模な解体修理工事が行われ、2009年(平成二十一年)に無事落慶供養が営まれた。屋根には鴟尾を乗せ、東側が鎌倉時代で、西側は創建時の物だったが、痛みが激しかったため修理の際に新たに造られた鴟尾に換えられている。内部には盧舎那仏座像・薬師如来立像・千手観音立像・四天王立像・梵天・帝釈天立像(いずれも国宝)を安置。
盧舎那仏座像
像高304.5cmの座像で515cmある背光には盧舎那仏の分身だという千体(現在は864体)の小仏を付ける。奈良時代末期の作で、寺伝によれば鑑真に伴って渡来した弟子の義静による造立されたという。
千手観音立像
本尊盧舎那仏座像の左側に安置される像高535.7cmの巨像。手の数は、現在は大脇手42本、小脇手911本の計953本だが、元々は本当に1000本の手を持っていたとされる。奈良時代末期から平安時代初期の作。
講堂
金堂の背後に建つ、正面9間側面4間、単層入母屋造の建物。寺伝などに平城宮の朝集殿を移築したとあり、現存する唯一の平城宮の遺構である。屋根は元々切妻造だったが、講堂として使うために入母屋造に改められている。また、鎌倉時代にも大規模な改築が行われていおり、現在の外観はこの時に形成された。内部には、本尊の弥勒如来坐像(鎌倉時代)と脇侍の木造持国天・増長天立像(奈良時代末期)を安置する。
鼓楼
金堂と講堂の間の東側に位置する正面3間側面2間、重層入母屋造の建物。現存の建物は1240年(仁治元年)に再建されたもので、鑑真和尚が唐から請来した仏舎利を納めるので舎利殿と呼ばれてきたが、鼓は置かれていないのになぜか鼓楼とも称するようになった。5月19日の中興忌梵網では、殺生を避け蚊も殺さなかったという覚盛上人にちなんでうちわ撒きがここで行われる。
経蔵・宝蔵
礼堂の東側にある2棟の校倉造の建物で、南が経蔵、北が宝蔵。経蔵は唐招提寺ができる前に当地にあった新田部親王邸の蔵を改造したもので日本最古の校倉といわれ、宝蔵は創建時に建立されたと考えられる。内部には南北朝時代の文殊五尊像を安置する。
新宝蔵
1970年(昭和四十五年)に完成した建物で数々の仏像を納め、春と秋の一定期間公開される(別途200円)。大日如来坐像・衆宝王菩薩立像・獅子吼菩薩立像・薬師如来立像などを安置し、頭と両手の無い如来形立像は「唐招提寺のトルソー」として知られる。
御影堂
元々は1649年(慶安二年)建立の興福寺一乗院の遺構で、一乗院が廃寺になったあと奈良地方裁判所の庁舎として使われていたものを1964年(昭和三十八年)に移築。内部に安置されている鑑真和尚像(国宝)は、弟子のの忍基が講堂の梁が折れる夢を見て師の死期が近いことを知り、急いで生身の本人をモデルに造らせたというエピソードを持つ。また、日本画家の東山魁夷(1908-1999年)による壁画も飾られている。開山忌(6月5、6日)や観月会(10月21~23日)前後に特別公開。拝観料別途500円が必要。
御朱印・御朱印帳
種類 | ①「盧舎那仏」の御朱印、②「鑑真大和上」の御朱印 |
入手場所 | 金堂の右手にある御朱印所。 |
値段 | 1件300円 |
オリジナル御朱印帳 | 数種類あり。 |
歴史
日本には仏教が伝来した後も長らく本格的な受戒の制度がなく、ふさわしくない振る舞いをする僧が跋扈していた。そのため戒律を授けることのできる高僧が求められ、聖武天皇の命を受けた栄叡と普照は授戒伝律師を探しに733年(天平五年)唐に渡った。なかなか適任者が発見できなかったが、742年、鑑真に出会い来日を依頼。鑑真はこれを引き受け海を渡ることを決意する。以後5度に渡って航海に失敗し、失明までしたがあきらめず753年(天平勝宝五年)、ついに来日。
その後、東大寺に戒壇院を設立した鑑真が759年(天平宝字三年)に新田部親王の旧宅を与えられて、戒律を学ぶための道場を開いたのが唐招提寺の始まり。
当初は鑑真の私寺だったため講堂、経蔵、宝蔵があるだけの簡素なつくりだったが、死後弟子の如宝が金堂、経楼、鐘楼などを建立して寺観が整えられた。
平安時代には一時衰微するが、鎌倉時代に入ると覚盛上人(1194-1249年)の尽力よって復興された。また、江戸時代には五代将軍綱吉の母桂昌院の援助で諸堂が修復されている。
奈良時代から残る貴重な建物が多く、1998年(平成十年)に「は古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている。
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