日光山輪王寺

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


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種類 寺院(天台宗)
アクセス JR日光駅・東武日光駅からバスで10分または徒歩30分。
概要 輪王寺は栃木県日光市にある天台宗の寺院。
奈良時代に勝道上人が日光山を開山したことにはじまり、鎌倉時代以降は東国武士から篤い崇敬を受け、江戸時代初期に当寺の住持天海の主導で日光東照宮が創建されると初代将軍を祀る霊場として栄えた。
元々日光東照宮、二荒山神社、輪王寺は一体の存在であったが、明治初めの神仏分離令により切り離されたため輪王寺に属する建物は山内に散在している(輪王寺はそれらの総称)。
長い歴史の中で蓄積された貴重な文化財が数多く残されており、1999年(平成十一年)には「日光の寺社」として二荒山神社、日光東照宮と共にユネスコの世界遺産に登録されている。
主な行事には、除夜の鐘・歳旦会(1月1日)、外山毘沙門天縁日(1月3日)、節分会(2月3日)、強飯式(4月2日)、延年の舞(5月17日)、薪能(8月22日)、採灯大護摩供(12月31日)がある。
見どころ 勝道上人像宝物館逍遥園三仏堂相輪橖常行堂・法華堂慈眼堂大猷院薬師堂開山堂
拝観時間 4月1日-10月31日→8時~17時、11月1日-3月31日→8時~16時
拝観料 三仏堂拝観券→大人400円、小中学生200円、大猷院拝観券→大人550円、小中学生250円、三仏堂・大猷院セット券→大人900円、小中学生400円、社寺共通拝観券(輪王寺・東照宮・二荒山神社(一部施設を除く))→大人1000円、高校生600円、小中学生400円。
サイト http://rinnoji.or.jp/
住所 栃木県日光市山内2300

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日光山輪王寺の見どころ

勝道上人像

三仏堂や宝物殿のあるエリアの入口に建つ銅像。
勝道上人(735-817年)は下野国出身の僧で、782年(延暦元年)に日光山への登頂へ成功し、四本龍寺や二荒山神宮寺(中禅寺)を開き霊場としての日光に基礎を築いたとされる人物。
現存する像は1955年(昭和三十年)に造られたもので、彫刻家新関国臣氏の作。

宝物館

輪王寺に伝わる文化財や徳川記念財団の所有する将軍家伝来の宝物を収蔵、展示する施設。
主な収蔵品には、大般涅槃経集解(国宝)、舞楽所用具(重文)、木造薬師如来坐像(栃木県指定文化財)などなどがある(展示品は定期的に入れ替わる)。

逍遥園

宝物館の前に位置する池泉回遊式の日本庭園。
江戸時代初期の造園で、文化年間(1804-1818年)に改造された際に幕府が所管する昌平坂学問所の儒学者佐藤一斎により「逍遥園」と名付けられた。シャクナゲ、ツツジ、サツキなどの花や紅葉が楽しめる。

三仏堂

輪王寺の本堂にあたる建物で、現存の堂宇は1650年(慶安三年)に建てられたもの。
元々は現在、二荒山神社社務所がある辺りにあったが、明治初期の神仏分離の際に現在地へ移築された。
堂内には日光三社権現の本地仏である千手観音(男体山)・阿弥陀如来(女峯山)・馬頭観音(太郎山)及び東照三社権現本地仏である薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来を祀る。
三仏堂前の「金剛桜」は樹齢500年といわれる古木で天然記念物に指定されており、平地よりも遅い4月下旬~5月初旬に見ごろを迎える。

相輪橖

三仏堂の裏側にある高さ約13メートルの細長い塔。
1643年(寛永二十年)に天海が比叡山延暦寺にある宗祖最澄建立の相輪橖を模して建てたもので、当初は東照宮の奥院にあったが、二荒山神社境内を経て1875年(明治八年)に現在地へ移された。
近くには生糸貿易の団体である糸割符仲間が徳川家康から特権を付与されたことに感謝して奉納した唐銅製灯籠がある。

常行堂・法華堂

大猷院の仁王門手前にある2つのお堂が渡り廊下で繋がった珍しい建物で、担い堂、2つ堂とも呼ばれる。
常行堂では本尊阿弥陀如来や摩多羅神、法華堂では本尊普賢菩薩と鬼子母神、十羅刹女を祀る。また常行堂には源頼朝のものと伝えられる遺骨が納められている。

慈眼堂

常行堂・法華堂の間を通ってしばらくいったところにあるお堂。
拝殿の裏には徳川家康、秀忠、家光の3代に渡り将軍の相談役を務め、日光山の復興に尽力した天海大僧正(慈眼大師)の墓がある。

大猷院

江戸幕府第三代将軍徳川家光の墓所。
家光は初代将軍である祖父の家康を深く尊敬しており、遺言により家康の眠る東照宮の近くに霊廟が造られた。本殿は国宝、唐門、夜叉門は重要文化財に指定されている。→詳細

薬師堂

東照宮の陽明門の近くにある御堂で、東照大権現の本地仏である薬師如来を祀る(東照宮境内だが輪王寺に所属)。
天井には頭の下で拍子木を打つと鳴き声のような反響音が聞こえることから「鳴龍」として有名な龍の絵がある。江戸時代に描かれた狩野安信による鳴龍は1961年(昭和三十六年)に建物と共に燃え、現存する絵は日本画家の堅山南風(1887-1980年)の作。

開山堂

日光東照宮社務所横の道を5分程いったところにあるお堂。
堂内には本尊地蔵菩薩像や開山の勝道上人座像を安置し、背後の崖には六武天(持国天・増長天・広目天・多聞天・不動明王・帝釈天)の石像が安置される。

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御朱印・御朱印帳

種類 ①「日光山輪王寺」の御朱印、②「金堂」の御朱印、③「大猷院」の御朱印、④「阿弥陀如来」の御朱印、⑤「鳴龍」の御朱印、⑥「五大尊」の御朱印、⑦下野七福神「毘沙門天」の御朱印、⑧「千手観世音」の御朱印。
貰える場所 ①は三仏堂・宝物殿のあるエリアの表参道側に位置する黒門横、②が三仏堂の拝観受付、③は大猷院拝観受付、④常行堂、⑤は薬師堂、⑥~⑧が護摩堂。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ①輪王寺の御朱印帳、②三仏堂の御朱印帳、③薬師堂の御朱印帳の3種類があるようです。
①シンプルなデザインでサイズ小さめ値段1000円、②は三仏堂と金剛桜が描かれ、サイズは18cm×12cm、値段は1500円、③は鳴龍が描かれたものでサイズは大き目。

寺伝によれば日光山の歴史は勝道上人が766年(天平神護二年)に四本龍寺を創建したことにはじまるとされ、平安時代には朝廷から満願寺の寺号を与えられ、円仁(慈覚大師)が訪れ天台宗の影響下に入ったという。
鎌倉時代になると源頼朝をはじめとする東国武士の崇敬を受けて栄え、三代将軍源実朝と関係の深かった弁覚によって開かれた光明院が本坊となり、皇族や公家が座主として迎えられるようになった。
光明院は応永年間(1394-1428年)に廃絶し、座禅院が本坊となったが、戦国時代には当地に勢力を持った壬生氏の影響下に入るようになり、壬生氏出身者が別当を務めるようなった。
1590年(天正十八年)、豊臣秀吉によって小田原の後北条氏が滅ぼされると、北条氏方についていたため寺領を没収され一時衰退を余儀なくされたが、徳川家康のブレーン的存在だった天海が1613年(慶長十八年)に座主となり復興に尽力し、家康の死後には天海によって家康を東照大権現として祀る日光東照宮が創建された。
また1654年(貞応三年)に後水尾天皇の第3皇子である守澄法親王が座主に迎えられてからは代々皇族出身者が座主を務める門跡寺院となり、輪王寺宮と称した日光山座主は東叡山寛永寺座主を兼任し、しばしば天台座主も兼ねるなど非常に高い権威を誇った。
日光東照宮、輪王寺、二荒山神社は元々一体の存在であり、総称して日光山と呼ばれていたが、明治初めの神仏分離令により二社一寺と称される現在の形態が形作られた。
この時、廃仏毀釈の風潮の中で特に当寺に対する風当たりは強く、多くの支院が廃絶され、輪王寺の称号も没収されるなど大打撃を受けたが、1883年(明治十六年)には輪王寺と称することを許され徐々に復興された。

 
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