豪徳寺

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


0

種類 寺院(曹洞宗)
アクセス 東急世田谷線宮の坂駅から徒歩6分。小田急豪徳寺駅から徒歩8分。駐車場あり。
概要 東京都世田谷区豪徳寺にある曹洞宗の寺院。泉岳寺の末寺。
1480年(文明十二年)に世田谷城主吉良政忠が伯母の菩提を弔うために創建した弘徳寺を前身とし、江戸時代には彦根藩主井伊家の菩提寺として栄えた。
境内には本堂、仏殿、三重塔や井伊家の墓があり、招福殿には発祥の地ともされる招福猫児(招き猫)が祀られている。
主な行事には、初詣(1月)、涅槃会(2月15日)、春彼岸会(3月春分の日)、施食会(7月7日)、盂蘭盆会(7月13日)、秋彼岸会(9月秋分の日)、成道会(12月8日)、除夜の鐘(12月31日)がある。
見どころ 仏殿三重塔梵鐘赤門招き猫井伊直弼の墓
拝観時間 6時~18時
拝観料 境内自由
サイト なし
住所 東京都世田谷区豪徳寺2-24-7

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豪徳寺の見どころ

仏殿

彦根藩四代藩主井伊直孝の菩提を弔うため、娘の掃雲院が1677年(延宝五年)に建立。
内部には同時期に仏師松雲元慶によって造られた釈迦如来像、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像、達磨大師像、大権修利菩薩像の5体の仏像を安置する。
建物、仏像ともに世田谷区の指定有形文化財となっている。

三重塔

2006年(平成十八年)に完成した総高25.5m、銅版葺の塔。
内部には大仏師渡邊勢山作の釈迦如来像を安置し、欄間には十二支や牡丹、椿などの彫刻が施されている。
また随所に招き猫も置かれている。

梵鐘

鐘楼堂にかかる梵鐘は1679年(延宝七年)の鋳造で、世田谷区内では最古の物。夕刻には鐘の音を響かせる。

赤門

本堂左手に建つ小さな門の事で、井伊家の上屋敷の長屋門を移築したものと伝えられる。

招き猫

井伊直孝が当寺の前を通りかかったとき一匹の寺の中から猫が手招きしているので不思議に思い堂内に入ったところ突然雨が強くなり近くに雷が落ちたという話が残されており、これがきっかけで弘徳寺(豪徳寺の前身)が井伊家の菩提寺となったとされ、直孝は危ないところを救い、縁をつくってくれた猫を大切にしたという。
後にこの話が基となり招福猫児(まねぎねこ)がつくられるようになり、招福殿には猫観音を祀り、その裏手には奉納された数百体の招き猫が並べられている。

井伊直弼の墓

井伊直弼(1815~1860年)は彦根藩主を務めた後、幕府の大老となり、1858年(安政五年)天皇の勅許を待たずに日米修好通商条約に調印。その後、これに不満を持った反対派を徹底的に弾圧するが(安政の大獄)、桜田門外で水戸や薩摩の浪士に切られ生涯を閉じた(桜田門外の変)。
豪徳寺の墓地には直弼をはじめ井伊家の人々の墓がある。

御朱印・御朱印帳

種類 「本尊釈迦牟尼佛」の1種類。
貰える場所 本堂右側の寺務所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないようです。
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歴史

当地にはかつて吉良氏によって築かれた世田谷城と呼ばれる平城があり、その城主吉良政忠が伯母である弘徳院の菩提を弔うため1480年(文明十二年)に創建した臨済宗の弘徳寺が豪徳寺の前身となる。
1584年(天正十二年)、高輪泉岳寺の宗関禅師によって曹洞宗に改められたが、1590年(天正十八年)の豊臣秀吉による小田原征伐で世田谷城は廃城となったため弘徳寺も衰微した。
その後、1633年(寛永十年)に大坂の陣などで活躍し世田谷を与えられていた井伊直孝によって井伊家の菩提寺として再興され、直孝の死後その法名にちなんで豪徳寺と改称された。

 
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