日光東照宮

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス JR日光駅・東武日光駅からバスで10分または徒歩30分。駐車場あり(乗用車500円、バイク400円)。
概要 日光東照宮は栃木県日光市にある神社で、徳川家康(東照大権現)を祀る。
江戸幕府を開いた初代将軍徳川家康は1616年(元和二年)に亡くなるとはじめ駿河国(現静岡県)の久能山に葬られたが、その遺言により日光に家康を祀る社が建てられ1617年(元和三年)に改葬された。
これが日光東照宮のはじまりで、初期に建物は簡素なものだったが、三代将軍徳川家光の指揮により建て替えが進められ1636年(寛永十三年)に現在の豪華絢爛な建物が完成した。
関東を代表する観光スポットのひとつであり、1999年(平成十一年)には「日光の寺社」として日光二荒山神社、日光山輪王寺と共にユネスコの世界遺産に登録されている。
主な行事には、歳旦祭(1月1日)、節分祭(2月3日)、春季例大祭(5月17日)、渡御祭(5月18日)、流鏑馬神事(10月16日)、秋季祭・渡御祭(10月17日)、除夜際(12月31日)がある。
見どころ 照降石石鳥居五重塔御仮殿、表門神厩舎(三猿)三神庫御水舎輪蔵薬師堂陽明門神輿舎唐門本社眠り猫奥宮日光東照宮宝物館日光東照宮美術館
拝観時間 4月1日-10月31日→8時~17時、11月1日-3月31日→8時~16時
拝観料 東照宮本体→大人1300円、小中学450円、宝物館→大人1000円、小中学生400円、美術館→大人800円、高校生600円、小中学生400円、東照宮+宝物館セット券→大人2100円、小中学生770円。
サイト http://www.toshogu.jp/
住所 栃木県日光市山内2301

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日光東照宮の見どころ

照降石

石鳥居へと続く石段の10段目中央の敷石が照降石。
長方形の石が斜めに2色に分かれており、この色の差がくっきりしてくると翌日には雨降るといわれている。

石鳥居

境内入口に位置する高さ約9mの巨大な石製鳥居。
1618年(元和四年)に福岡藩初代藩主の黒田長政の寄進によって建てられたもので、「東照大権現」の額は後水尾天皇の筆。八坂神社鶴岡八幡宮の鳥居と共に日本三大石鳥のひとつとされる。

五重塔

石鳥居の左側に位置する高さ約36mの塔。
1650年(慶安三年)に若狭小浜藩藩主酒井忠勝の寄進で建てられたのがはじめだが、1815年(文化十二年)に落雷による火災で焼失し、現存する建物は忠勝の子孫である小浜藩第10代藩主酒井忠進で1818年(文政元年)に再建されたもの。大名の寄進で建てられた唯一の建物。

御仮殿

石鳥の右側に位置する建物。
1639年(寛永十六年)に建てられたもので、本殿の修復工事が行われる際にはここに神霊を遷し神事などもここで行われていた(これを下遷宮というが1863年以降行われていない)。建物は本社と同じく権現造で建てられている。

表門(仁王門)

石鳥居の正面奥に位置する日光東照宮最初の門。
左右に安置されている巨大な仁王像は明治初めの神仏分離令により一度輪王寺の大猷院へ移されたが、1897年(明治三十年)に戻され神仏習合期のスタイルに復している。
表門の右手には石垣があり、1690年(元禄三年)の修復工事の際に埋め込まれた「阿房丸」という縦約3.25m、横約6.3mの巨石がみられる。

神厩舎(三猿)

表門左側に位置する白木造の簡素な建物で、神馬を繋いでおくための施設。
ここにあるのが「見ざる・聞かざる・言わざる」で知られる有名な三猿の彫刻(古くから猿は馬を守る動物とされており中世には馬屋で猿が飼われることも多かった)。

三神庫

表門を入ってするの所にある上神庫・中神庫・下神庫からなる校倉造の建物群。
渡御祭の千人行列で使われる装束などを納めておくための収蔵庫で、上神庫にある象の彫刻は狩野探幽が下絵を描いたものだが、実物を見ずに想像で描いたころから「想像の象」とも呼ばれちょっと変わった風貌となっている。
中神庫と下神庫の間にある西浄は神様のための便所といわれており、公開されていないが内部には9つの漆塗りの便器があるという。

御水舎(水屋)

本社に参拝する前に水で手を清めるための手水舎。
高さ約1m、縦2.6m、横1.2mの水盤は1618年(元和四年)に佐賀藩藩主鍋島勝茂によって奉納されたもの。

輪蔵

御水舎の奥に位置する建物。
内部には回転式の書架があり、徳川家康、秀忠、家光のブレーンだった天台宗の僧天海によって出版されたいわゆる天海版の一切経が納められている。

薬師堂(本地堂)

陽明門の手前を左に行ったところにある建物で、東照大権現の本地仏である薬師如来を祀る。
天井には頭の下で拍子木を打つと鳴き声のような反響音が聞こえることから「鳴龍」として有名な龍の絵がある。江戸時代に描かれた狩野安信による鳴龍は1961年(昭和三十六年)に建物と共に燃え、現存する絵は日本画家の堅山南風(1887-1980年)の作。

陽明門

本社のあるエリアの入口に建つ高さ約11mの重層門。
1636年(寛永十三年)に建てられたもので、錺金具と龍、麒麟、唐獅子などの彫刻が無数に散りばめられ、そのあまりの絢爛は見るものを圧倒する(彫刻は全部で508個ある)。
柱にはグリ紋という渦巻きの文様がつけられているが、1本だけこの文様の向きが逆の柱があり「魔除けの逆柱」と呼ばれている(完成したものはその瞬間から崩壊がはじまるとの考えから意図的に一本だけ逆にして未完成の状態を保ったともされる)。
陽明門の名前は内裏の外郭に建つ十二門の1つである「陽明門」からとられたもので、1日中眺めていても飽きがこないという意味で日暮しの門とも呼ばれる。国宝に指定。

神輿舎

神輿は三基あり、それぞれ日光東照宮の祭神である徳川家康、豊臣秀吉、源頼朝の乗り物とされる(神仏分離以前は東照大権現、山王権現、摩多羅神)。

唐門

本社の前に建つ間口3m程の小さな門。
全体が胡粉という白い顔料で塗られおり、古代中国の伝説的人物をモチーフとした「舜帝朝見の儀」、「許由と巣父」など611におよぶ彫刻が施されている、左右へ延び本社を囲む透塀と共に国宝に指定。

本社

現存するのは徳川家光により1636年(寛永十三年)に建てられた建物で、本殿と拝殿が石の間を挟んで一体となった権現造と呼ばれる形式でつくられている(権現造の名称はこの建物によりおこったもので徳川家康の神号東照大権現にちなむ)。
拝殿には家康の干支である虎の彫刻はじめ940に及ぶ彫刻郡や狩野派による壁画があり、脇には将軍が使用する「将軍着座の間」と日光門主の使用する「法親王着座の間」がある。
その奥の石の間はいわば此岸と彼岸を繋ぐ境界的な的な空間で多くの祭礼はここで行われる。
徳川家康を祀る本殿は基本的に非公開だが、内部は外陣、内陣、内々陣からなり、全体で1439もの彫刻が施されている。

眠り猫

陽明門から続く東回廊の奥社参道入口にあるのが有名な「眠り猫」の彫刻。
眠っている猫とその背後に雀を配した彫刻で、伝説的名工左甚五郎の作だと伝えられている。

奥宮

本社の背後にあるエリアで、銅鳥居、奥社拝殿、鋳抜門、銅神庫、宝塔(いずれも重要文化財に指定)などが建つ。
徳川家康の墓所にあたる宝塔は1622年(元和八年)に建てられた木製の塔が最初で、1641年(寛永十八年)に石造に造り替えられたが、1683年(天和三年)の地震で倒壊したため、五代将軍徳川綱吉の指示で現存する唐銅製の塔が建てられた。傍らには祈願すれば願いを叶えてくれるという叶杉がある。

日光東照宮宝物館

日光東照宮に伝わる文化財の数々や関連資料を展示する施設。
主な収蔵品には徳川家康が関ケ原の戦いで着用していたものとされる「南蛮胴具足」(重文)や家康所蔵の名刀「勝光宗光」(重文)、当社の造営に使われた「大工道具及び箱」(国宝)などがある。

日光東照宮美術館

旧社務所のを改装してできた美術館で、横山大観、中村岳陵、荒井寛方、堅山南風らによって描かれた杉戸絵、襖絵の大作が展示されている。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「日光東照宮」、②「御仮殿」(公開時のみ)、③「日光東照宮奥宮」、④「鳴龍」
貰える場所 ①は陽明門横の朱印所、③は奥宮、④は薬師堂(正確には輪王寺の管轄?)。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 陽明門が描かれた御朱印帳や眠り猫・三猿のデザインされた御朱印帳(2016年限定)があります。値段は1800円、サイズは18cm×12cm。
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歴史

1616年(元和二年)に徳川家康が駿府城で亡くなると遺体は久能山に葬られたが、遺命により家康と親しかった天台宗の僧天海の主導で翌1617年(元和三年)、日光に改葬され、同年朝廷から東照大権現の神号を贈られた。
当初の建物は家康の要望もあり比較的簡素なものだったが、家康を崇敬する三代将軍徳川家光によって「寛永の大造替」と呼ばれる大規模な造営事業が進められ、1636年(寛永十三年)までに現存する主要な建物が完成した。
1645年(正保二年)には宮号を贈られて東照宮と称するようになり(それまでは東照社)、例祭には朝廷から奉幣使が派遣されるのが慣習となった。
日光山は766年(天平神護二年)に勝道によって開かれた古くからの霊場であり、東照宮、二荒山神社、輪王寺は一体の存在であったが、1868年(明治元年)の神仏分離令により切り離され二社一寺と称される現在の形態が形成された。
近代社格制度のもとでは別格官幣社に列せられ、戦後は神社本庁の別表神社となったが現在は単立の神社となっている。

 
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