鶴岡八幡宮

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価




4.5

種類 神社
アクセス 鎌倉駅から徒歩10分。専用駐車場一時間600円。周辺には有料駐車場もあり。→詳細
概要 鶴岡八幡宮は神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社。
1063年、源頼義が由比郷に創建した八幡神社が元であり、1180年に鎌倉入りをはたした源頼朝によって現在地に遷され大社に発展した。
境内は広く、本殿や末摂社の他にも神奈川県立近代美術館鎌倉館鎌倉国宝館、鶴岡八幡宮鶴岡幼稚園などがある。
主な行事に歳旦祭(1月1日)、鶴岡厄除大祭(節分直近の土日を含む3日間)、蛍放生会(6月上旬)、実朝祭(8月9日)、例大祭(9月15日)、流鏑馬神事(9月16日)、除夜祭(12月31日)などがある。
見どころ 一の鳥居段葛源平池・太鼓橋旗上弁財天社舞殿大石段・大銀杏本宮若宮白旗神社丸山稲荷社今宮
拝観時間 5時~21時(御朱印・お守りの授与所等は8時30分~17時)
拝観料 境内自由(宝物殿は大人200円、小人100円)
サイト https://hachimangu.or.jp/
住所 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

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鶴岡八幡宮の見どころ

一の鳥居

鶴岡八幡宮から海まで続く若宮大路上に立つ3つの鳥居の内、一番海側のものが一の鳥居。現存するのは1668年(寛文八年)に江戸幕府四代将軍徳川家綱の寄進で建てられたもので、関東大震災で倒れたが繋ぎ合わせて建て直されている。重要文化財に指定。

段葛

若宮大路の内、八幡宮境内手前の約460mの道のことで、二条の堤の間に土が盛られ、車が通る道路より一段高く造られている。両脇には桜が植えられ、春には花見客で賑わう。近年改修工事が行われ新しくなった。

太鼓橋と源平池

参道である段葛が終わり信号を渡って境内に入ると最初に見えるのが源平池とそこに架かる太鼓橋。源平池の歴史は古く1182年(寿永元年)、頼朝の命を受けた専光坊、大庭景義らにより水田を改修して造られたものといわれている。池に浮かぶ島の数はもともと東側、西側ともに4島だったが、後に東側では1島取り潰し3島とし、西側は4(死)島のままとして東の源氏か西の平家を滅ぼすことを意味したといわれ、いつしか源平池と呼ばれるようになった。現在架かっている石造りの太鼓橋は関東大震災以後に架けられたものだが、かつては朱色に塗られた板橋があり赤橋と呼ばれてた。太鼓橋は傾斜がかなりきつく危険が大きいため、通常は通行禁止となっており参拝客は左右に造られた平らな橋を渡ることになる。池の中には蓮が植えられているほか、畔には河津桜やソメイヨシノがあり春には花見が楽しめる。またコイや亀が泳ぎ回っているおり、スッポンが出没することもあるという。

旗上弁財天社

源平池に浮かぶ小島にある八幡宮の境内社で、鎌倉江の島七福神のひとり旗上弁財天を祀る。明治初めの神仏分離の際に取り壊されたが、1956年(昭和三十一年)に再建され、1980年(昭和五十五年)に古図に則って現存の社殿が建てられた。傍らには、頼朝が政子のために奉納したと伝えられ、触れば子宝や良縁にご利益のあるという「政子石」があり、パワースポットとしても知られている。

舞殿

境内を本宮に向かって真っ直ぐ進んで行ったところにある建物。春の鎌倉祭りでは、源義経の愛妾静御前が頼朝らの前で「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」と舞ったのを再現した「静の舞」がここで行われる。

大石段と大銀杏

八幡宮の本宮は一段高い場所にあり、そこへ61段の大石段が続く。その大石段の脇にかつてあったのが、前将軍頼家の遺児公暁が三代将軍源実朝を暗殺した際に身を隠していたという伝説を持つ大銀杏であり、樹齢1000年とも言われ県の天然記念物に指定されていたが、2010年3月10日の未明に強風のために折れてしまった。現在では折れた幹は切断して近くに移植され、元あった場所では残された根から芽を出したヒコバエが茂っている。

本宮(上宮)

鶴岡八幡宮の中心となる建物で、応神天皇、神功皇后、比売神を祀る。現存する流権現造の社殿は1828年(文政十一年)に徳川家斉によって再建されたもので、重要文化財に指定されている。本宮の横には国宝や重要文化財を含む八幡宮にまつわる逸品を展示する宝物殿がある(大人200円、子供100円)。

若宮(下宮)

大石段を登らずに右に行くとあるのが若宮で、履仲天皇、仁徳天皇、仲媛命、磐之媛命を祀る。鶴岡八幡宮は由比郷にあった八幡宮が移設されたものだが、最初に社殿が建てられたのが現在若宮が建っている位置だと考えられている。現存する権現造の建物はは1624年(寛永元年)に再建されたもの。

白旗神社

鶴岡八幡宮境内にある摂社の一つで、源頼朝と源実朝を祀る。白旗とは源氏の旗のことであり、鎌倉や関東地方には同じ名前の神社が多くある。奥州へ赴く途中に立ち寄った豊臣秀吉が「身分の低い中から天下を取ったのはあなたと私だけだ。だがあなたは天皇の後胤であり、一族も関東に勢力を築いた。私は氏も系図も無いが天下を取った、ゆえにその功績は私の方が勝っている。しかし我々は天下友達である。」といって頼朝像の背中をポンポンと叩いたというエピソードが残されている。元は本宮の西側にあったが、明治時代に現在地へ遷された。本殿と拝殿が市の指定文化財となっている。

丸山稲荷社

本宮の西側に位置する境内摂社。もともとは本宮の位置にあったが、本宮建設の際に現在地に遷されたものとされる。現在残っている建物は室町時代に造られたもので鶴岡八幡宮境内では最も古く、重要文化財に指定されている。

今宮神社(新宮神社)

鶴岡八幡宮の境外末社の一つで、駐車場の奥へ行ったところにひっそりと建つ。後鳥羽上皇の怨霊を恐れて、1247年(宝治元年)に創建されたものといわれ、承久の乱で幕府と対立して敗れた後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇を祀る。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「鶴岡八幡宮」の御朱印、②「旗上弁財天社」の御朱印。
入手場所 ①は石段横の授与所、②は旗上弁財天社の授与所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 巫女が描かれた御朱印帳などがあります。

歴史

由比若宮時代

源頼朝の祖先である源頼義は奥州での前九年合戦に赴く前、京都の石清水八幡宮に参拝し武運を祈り、無事に勝利を得た後の1063年(康平六年)、由比郷鶴岡に石清水八幡宮を勧請して社を建てた。
頼義の子である義家(八幡太郎義家)も八幡神を篤く信仰し、社殿を修復するなど大切に扱い、以後もこの神社はその子孫によって管理されていった。

鎌倉時代

1180年(治承四年)、鎌倉入りを果たした源頼朝は由比郷の若宮を小林郷の北山へと遷し、鎌倉の街の中心に据える。これが現在私たちが知っている鶴岡八幡宮の位置で(元の場所には由比若宮(元八幡)が残されている)、1182年(寿永元年)には八幡宮への参拝道として若宮大路を築き、弦巻田と呼ばれていた水田を改造して現在の源平池が造られた。
1191年(建久二年)に町で起きた大火を貰い焼失するが、再び石清水八幡宮から勧請して再建され、この時現在に近い上下両宮の形となったとされる。
鶴岡八幡宮の運営は真言宗系の供僧を中心に行われ、その長として別当職が置かれ、初代別当には頼朝の親類である園城寺(三井寺)の円暁が就任している。
1219年(建保七年)には 前将軍源頼家の遺児で八幡宮寺別当だった公暁による三代将軍源実朝暗殺の舞台となっている。

その後

鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏や鎌倉公方の支援を受けたが、1455年(享徳四年)に鎌倉公方が鎌倉を去ると庇護者を失い徐々に衰微した。
1512年(永正九年)、北条早雲が参詣し、復興を計画するが実現せず、1526年(大永六年)に里見実堯と北条氏綱の合戦によって焼失したが、その後、1532年(天文元年)から1540年(天文九年)にかけて北条氏綱の支援でいくつかの建物が再建された。
1590年(天正十八年)には、その小田原北条氏を滅ぼした豊臣秀吉が参拝し、徳川家康に修築を命じた。
江戸時代に入ってからも徳川家の支援で諸堂が建立されたが、1821年(文政四年)の火災で多くを焼失し、現存の主な建物はその後の再建。1828年(文政十一年)には 江戸幕府11代将軍徳川家斉の支援で本殿が完成している。
明治になると神仏分離令の影響を受け供僧は神職となり、摂社や神宮寺の統廃合が進み現在に近い形となった。また、近代社格制度では官幣中社に列せられ、戦後は神社本庁の別表神社となっている。

アクセス

鎌倉駅から

JR鎌倉駅東口のロータリーを直進して若宮大路(21号)にでたら海岸とは反対方向に直進。約8分で境内に到着。

北鎌倉方面からバス

北鎌倉から鎌倉駅に向かう江ノ電バスは八幡宮前で止まるので、「北鎌倉」「上町」「明月院」「建長寺」などのバス停からこれに乗り、「八幡宮前」で下車。

鎌倉大仏・長谷寺方面から

長谷方面から直接八幡宮に行くバスはないので、いったんバスか江ノ電鎌倉駅に戻り徒歩で向かうのがよい。

駐車場

鶴岡八幡宮が所有する専用駐車場は県道21号に面して3ヶ所あり、利用時間は乗用車が9時~19時30分、大型バスが9時~17時、料金は乗用車最初1時間600円、以後30分ごとに300円(祈祷を受ける場合は2時間まで無料)、大型バス最初1時間2000円、以後30分ごとに1000円となっている。大型バスで利用する場合は鶴岡八幡宮のWEBサイトから事前に予約する必要があるので注意。
また、目の前の鎌倉有料駐車場やタイムズ鶴岡八幡宮前、鎌倉そうびえん、タイムズ鎌倉雪ノ下第5など周辺には民間有料駐車場もある。

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周辺の観光スポット

宝戒寺

宝戒寺聖天堂

鶴岡八幡宮からの行き方:正面の出入口から出て目の前の道路を左に直進。約3分で到着。
概要:鎌倉幕府滅亡と同時に自害した北条一族の人々を弔うために創建された天台宗のお寺。萩の名所としても知られる。→宝戒寺のページへ

頼朝の墓

頼朝の墓

鶴岡八幡宮からの行き方:鎌倉国宝館の横から出て左左右左。所要時間約7分。
概要:鎌倉幕府の創建者源頼朝の墓とされる石塔。近くには頼朝を祀る白旗神社があり、東側には大江広元の墓もある。→頼朝の墓のページへ

小町通り

小町通り入口

鶴岡八幡宮からの行き方:正面の出入口から出て目の前の道路を右に進み左に入る。
概要:八幡宮前から鎌倉駅東口まで続く商店街。レストラン、カフェ、土産物屋などが軒を連ねる。→小町通りのページへ

 
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