小網神社

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス 東京メトロ日比谷線人形町駅から徒歩5分、半蔵門線水天宮前駅から徒歩8分、東西線茅場町駅から徒歩15分。都営浅草線人形町駅から徒歩7分。駐車場なし。
概要 東京都中央区日本橋小網町にある神社で、倉稲魂命・市杵島姫命(弁財天)・福禄寿を祀る。
社伝によれば、武蔵国豊島郡に恵心僧都(942-1017年)が建てたと伝えられる観世音と弁財天を祀る万福庵という小堂があり、1466年(文正元年)、周辺で疫病が流行した際に海上から網に稲穂を詰めた翁が現れ、当時の住持が夢告に従ってこの翁を稲荷大神として祀る社を境内に建てたのが当社の起源とされる。
その後この話を聞いた武蔵守護代の太田道灌が訪れ、社殿と土地を寄せ小網山稲荷院万福寿寺と名付けた。
明治になると神仏分離令によって萬福寺と切り離されて独立した神社となり、現在地に遷座して村社に列せられた。
境内はビルの合間にあり決して広くはないが、厄除け・財運、強運などにご利益のある神社として信仰を集め、近年はパワースポットとしても知られる。
主な行事には、歳旦祭(1月1日)、東京下町八福神参り・日本橋七福神詣(1月1~7日)、節分祭(2月3日)、例大祭(5月28日)、万福舟乗弁財天大祭(10月28日)、どぶろく祭=新嘗祭(11月28日)がある。
見どころ 本殿東京銭洗い弁天像関東大震災被災の手水鉢
拝観時間 24時間参拝可(お守りの授与等は9時~16時)
拝観料 境内自由
サイト http://www.koamijinja.or.jp/
住所 東京都中央区日本橋小網町16-23

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小網神社の見どころ

本殿

明治期に建てられた社殿は1923年(大正十二年)の関東大震災で失われ、現在は1929年(昭和四年)に宮大工の内藤駒三郎を棟梁として再建された建物が建ち、向拝には昇り龍・降り龍や鳳凰などの彫刻が施されている。
1945年(昭和二十年)の東京大空襲でも焼けず残り、当社のお守りを持って戦地に赴いた氏子達が全員無事に帰還したことから強運厄除の神として崇敬をうけるようになったという。
日本橋地区では唯一戦前から残る神社建築であり中央区の登録文化財に指定されている。
祭神の倉稲魂命(ウカノミタマ)は稲荷神社に祀られる穀物神、宗像三神のひとり市杵島姫命(イチキシマヒメ)は弁才天と同一視される水の神、福禄寿は健康長寿にご利益のあるという七福神の一人である。
弁財天は明治の初めに分離された福寿寺の方に属していたが同寺が廃寺になったため1869年(明治二年)に当社に遷された。

東京銭洗弁天像

お金を洗えば金運がつくという銭洗い弁天と言えば鎌倉の宇賀福神社が有名だが、当社の社殿前にも船に乗った弁天像と銭洗いの井があり東京銭洗い弁天として近年人気を集めているという。

関東大震災被災の手水鉢

1923年(大正十二年)に起きた関東大震災は、人形町、小網町の一帯でも大きな被害をもたらし、前述の通り当社の社殿も焼失してしまった。この手水鉢は元は薄茶色だったがその時の火災で赤みがかった現在の色に変色したと伝えられ、震災の記憶を留めるために境内の一角に展示されている。

どぶろく祭とみみずく

神社では毎年11月23日(当社の祭りは28日)に稲の収穫を祝い翌年の豊作を祈る新嘗祭(にいなめさい・しんじょうさ)という儀式が行われるが、当社の新嘗祭ではどぶろくという濁り酒が振る舞われることから「どぶろく祭」と呼ばれる。
この日には入り口横の神楽殿で里神楽舞が披露され、強運厄除・営業繁栄にご利益のあるというみみずくの縁起物が授与される(有料、数量限定)。

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御朱印・御朱印帳

種類 ①「小網神社」の御朱印、②日本橋七福神「福禄寿」の御朱印、③日本橋七福神「弁財天」の御朱印。
入手場所 境内授与所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 社殿と龍の御朱印帳があります。値段は2000円、サイズは16cm×11cm。

 
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