武田信玄公の墓

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基本情報

知名度 ★★
平均評価


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種類 史跡
アクセス JR身延線・中央線甲府駅から武田神社行・積翠寺行バスで「護国神社入口」下車、徒歩8分。または甲府駅から徒歩30分。
概要 山梨県甲府市岩窪町にある戦後大名武田信玄の墓。
武田信玄(1521-73年)は甲斐国守護武田信虎の長子として生まれ、1541年(天文十年)に父を駿河に追放して家督を継ぐと信濃へ侵攻を本格化し、越後の長尾景虎(上杉謙信)と争いを繰り返しながら信濃国をほぼ掌握。その後、北関東にも食指を伸ばし、桶狭間の戦いで今川氏が弱体化すると駿河に侵攻して駿河国の領有に成功した。さらに西上を目指して、遠江・三河に攻め入り、1572年(元亀三年)には三方ヶ原の戦いで徳川家康・織田信長軍を撃破したが、翌年野田城(現愛知県新城市)を包囲する陣中で病に倒れ53歳で亡くなった。
信玄の死はその遺言により3年間隠され、1576年(天正四年)に恵林寺で葬儀が営まれた。
遺体がどのように処理されたかははっきりせず、墓は複数存在するが、当地は火葬が行われた場所と伝えられ、武田信玄火葬塚とも呼ばれる。石碑は1779年(安永八年)に地元住民によってたてられたもの。
見どころ
拝観時間 日中
拝観料 境内自由。
サイト なし
住所 山梨県甲府市岩窪町

 
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