浅草寺

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 寺院(聖観音宗)
アクセス 浅草駅から徒歩5分。つくばエクスプレス浅草駅から徒歩8分。専用の駐車場はない。→詳細
概要 浅草寺は東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺院で浅草観音とも呼ばれる。
寺伝によれば、628年(推古天皇三十六年)近くに住む漁師が隅田川で投網をしていたところ観音像がかかり、これを祀りお堂を建てたことが浅草寺の始まりといい、江戸時代には徳川将軍家の庇護のもと盛隆した。
何度も火災に遭ったため古い建物はあまり残っていないが、浅草のシンボル雷門を有し、いつも大勢の参拝客で賑わっている。坂東33ヶ所観音霊場13番札所。
主な行事には、牛玉加持会(1月5日)、節分会(2月節分)、針供養(2月8日)、本尊示現会・金龍の舞(3月18日)、四万六千日=ほおずき市(7月、9、10日)、万霊燈籠供養会(8月15日)がある。
見どころ 雷門仲見世宝蔵門本堂五重塔影向堂六角堂橋本薬師堂淡島堂伝法院弁天堂二天門駒形堂浅草神社
拝観時間 境内自由(本堂などは4月-9月→6時~17時、10月-3月→6時~16時30分)
拝観料 境内自由
サイト http://www.senso-ji.jp/
住所 東京都台東区浅草2-3-1

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浅草寺の見どころ

雷門

雷門通りに面して建つ切妻造り本瓦葺の八脚門。
942年(天慶五年)、武蔵守に就任した平公雅によって建てたれたのが始まりで、はじめ駒形にあったが鎌倉時代に現在地に移築され風神・雷神を安置するようになったという。
その後何度も火災で焼失し、1865年(慶応元年)に燃えて以降長らく再建は叶わず名ばかりの状態となっていたが、1960年(昭和三十五年)、松下電器(パナソニック)創業者の松下幸之助の寄進で再建された。
門の中央には、「雷門」と書かれた高さ3.9m、幅3.3m、重さ約700kgという巨大な灯籠を吊るし、雷門通り側の左右には雷神像・風神像を、境内側の左右には天龍像・金龍像を安置する。
風神雷神を祀るため元々は風神雷神門といったが、いつの間にか単に雷門と呼ばれるようになり、江戸っ子は「門の名で見りゃ風神は居候」と馬鹿にした。

仲見世

雷門から入って150m程は参道の左右に食べ物や土産物を売る商店が立ち並び、仲見世通りと呼ばれる。
江戸時代、浅草寺の清掃を課せられていた付近の人々対して露店を出すことを許可したのが始まりだといい、現在は東側に54軒、西側に35軒が店を構える。

宝蔵門

仲見世を通り参道参道を真っすぐ歩いていくと突き当たる高さ22.7m、幅21m、奥行8mの堂々とした重層門。
寺伝によれば雷門と同じく平公雅によって建てられたのがはじめといい、その後何度か焼失して1649年(慶安二年)に徳川家光の寄進で建てられた門も1945年(昭和二十年)に空襲で失われた。
現存する門は大谷重工・ホテルニューオータニの創業者である大谷米太郎氏の寄進によって1964年(昭和三十四年)に再建されたもの。
元は仁王門と呼ばれ、今も左右には阿形・吽形の仁王像を安置し、中央入り口には「小舟町」、その両脇に「魚河岸」と書かれた提灯が吊るされ、本堂側には十年ごとに山形県村山市の有志から奉納される大わらじが掛けられている。楼上には平安時代の作という釈迦如来像や四天王像、風神・雷神像を安置。

本堂(観音堂)

1649年(慶安二年)に徳川家光の寄進で再建された旧本堂は国宝に指定されていたが、こちらも1945年(昭和二十年)の空襲で焼け、現存するのは1958年(昭和三十三年)の再建。
堂内は内陣外陣に分かれており、外陣天井には川端龍子(1885-1966年)による「龍の図」や堂本印象(1891-1975年)による「天人の図」が描かれ、内陣中央の御宮殿には本尊の聖観世音菩薩や御前立本尊、光愛染明王像、不動明王像、梵天蔵、帝釈天像、徳川家康・徳川家光寄進の観音像などを安置する。
隅田川から引き揚げられたという本尊は見ると目が潰れるとも伝えられる絶対秘仏であり、12月13日に御前立の観音像のみ公開される。

五重塔

本堂などと共に徳川家光の寄進で建てられた前五重塔はやはり空襲で焼け、現存する高さ48.3m鉄筋コンクリート製の塔は1973年(昭和四十八年)の再建。
塔内には寺務所、会議室や永代供養の位牌を納める霊牌殿があり、最上部には1966年(昭和四十一年)にスリランカのイスルムニア王立寺院から請来された仏舎利を納める。

影向堂

本堂の西側にある建物で、浅草寺の中興の祖である慈覚大師円仁の生誕1200年を記念して1994年(平成六年)に建てられた。堂内には聖観世音菩薩や生まれ年十二支の守り本尊、浅草名所七福神の一人大黒天を安置する。

六角堂

影向堂の奥に位置する建物で、堂内には日数を決めて願い事をすれば叶えてくれるといわれる日限地蔵尊を安置する。
1618年(元和四年)の建立と浅草寺境内最古の建物であり、東京都指定有形文化財となっている。

橋本薬師堂

1649年(慶安二年)、江戸幕府第三代将軍徳川家光によって再建され建物で、元は観音堂の北にあったが1994年(平成六年)に現在地へ移築された。
堂内には本尊の薬師如来坐像やそのお前立の薬師如来像、十二神将像を安置する。

淡島堂

影向堂の西隣に位置し、建物は戦後仮の本堂として、後に影向堂として使われていたもの。
元禄年間(1688年~1704年)に婦人病の治癒に霊験があるという和歌山県の淡嶋神社(加太神社)を勧請して創建。
堂内には本尊の阿弥陀如来座像や虚空蔵菩薩像を安置し、お堂の前には子供が下部の穴をくぐると虫封じや疱瘡除けになるといわれている「胎内くぐりの灯籠」が置かれている。

伝法院

浅草寺の本坊(住職の住む所)にあたる区域で、書院、客殿、茶室などがある。
池泉回遊式庭園は小堀遠州(1579-1647年)の作庭と伝えられ、国の名勝に指定されている(普段は非公開)。

弁天堂

境内東側にある弁天山と呼ばれる小高い丘に建つ御堂で、白髪の老女の姿で描かれた弁財天を祀る。
神奈川県の江の島弁天、千葉県の布施弁天と共に関東三弁天の一つとされ、後北条氏の信仰が篤かったという。
弁天堂の横にある鐘楼には1692年(元禄五年)に徳川綱吉の命で鋳造された時刻を知らせる「時の鐘」が吊るされ、松尾芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」という句で知られる。

二天門

本堂の東側に建つ切妻造り、本瓦葺の八脚門。
1618年(元和四年)、境内にあった家康を祀る東照宮の隋神門として建てられ、1642年(寛永十九年)に東照宮が焼失すると門だけが残された。
二天門と呼ばれるようになったのは明治の神仏分離の際に鎌倉の鶴岡八幡宮の経蔵から持国天像と増長天像を遷したことによるが、両像は第二次大戦中修理先で焼失し、現在は上野寛永寺の巌有院から移された二天像を安置する。
掲げられている「二天門」の扁額は三条実美の筆。

駒形堂

隅田川に駒形橋近く(台東区雷門2-2)に建つ御堂で、浅草寺の飛び地境内となっている。
隅田川から引き揚げられた観音菩薩像がはじめ祀られていた浅草寺発祥の場所であり、現在は2003年(平成十五年)に建て替えられた御堂に秘仏の馬頭観世音菩薩像を安置する。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「聖観世音」、②「大黒天」、③「九尊佛」。
入手場所 本堂の西側の影向堂内。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 数種類あり。

歴史

628年(推古天皇三十六年)、近くに住む檜前浜成・竹成という漁師の兄弟が宮戸川(現隅田川下流域)で投網をしていたところ網に1寸8分の観音菩薩像が掛かった。これを知った郷司の土師中知は邸宅を寺に改め観音像を祀った(10人の草刈童子がアカザで草堂をつくりそこに安置したとも)。
これが浅草寺の始まりとされ、645年(大化元年)に勝海上人という僧が本堂を修築して、夢告によって本尊を秘仏とすることを定めたという。
その後、平安時代初期に比叡山延暦寺の慈覚大師円仁が当地を訪れ、御前立の聖観音像と御影板木を刻んだといい、これ以来天台宗に属することとなった。
942年(天慶五年)には武蔵の国守となった平公雅によって伽藍が整えられ、八幡太郎義家や源頼朝も参詣したという。
史料の上で初めて登場するのは鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」で、1181年(治承五年)に鎌倉の鶴岡八幡宮を建てるための宮大工を浅草から呼び寄せたことや1192年(建久三年)に鎌倉で行われた後白河法皇の四九日法要に浅草寺の僧が出席したとの記述がある。
戦国時代には小田原の北条氏が篤い信仰を寄せ、北条氏綱や北条氏直は火災で焼失した諸堂を再建している。
1590年(天正十八年)、江戸に入った徳川家康はブレーンの僧・天海の助言によって浅草寺を祈願寺として寺領五百石を与え、1618年(元和四年)には家康を祀る東照宮が境内に建てられた。
1648年(正保五年)、当寺別当の忠運が寛永寺の輪王寺宮と論争して幕府に罷免されて以来寛永寺の影響下におかれたが、江戸時代を通じて庶民憩いの場として栄えた。
明治に入ると神仏分離令の影響で境内の浅草神社が独立し、廃仏毀釈の風潮もあり一時衰えたが、庶民の人気は変わらず関東大震災や第二次大戦も乗り越え現在に至る。
戦後天台宗から独立して、1950年(昭和二十五年)聖観音宗を立ち上げ総本山となっている。

アクセス

浅草駅から

都営地下鉄浅草線・東武伊勢崎線・東京メトロ銀座線浅草駅からは、雷門通りを西へ進み右折し雷門をくぐり、仲見世通りをまっすぐ北へ進む。所有時間は徒歩で約5分。

つくばエクスプレス浅草駅から

つくばエクスプレス浅草駅A1出口を出て東へ進めば浅草寺境内にたどり着く。所要時間は約6分。

上野から

上野方面から歩く場合は、上野駅前の昭和通り(国道4号線)を鶯谷方面に進み、北上野一丁目で右折。後はひたすら直進すれば浅草寺にたどり着く。所要時間は約30分。

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駐車場

浅草寺専用の駐車場はないので車の場合は、周辺の有料駐車場を利用。
浅草雷門の正面に位置する台東区雷門地下駐車場がおすすめで、料金は7~23時が30分200円、23~翌7時が30分50円となっている。
他にも、コインパーク浅草駐車場(浅草1丁目35)、ユアーズパーキング浅草第1駐車場(浅草1−36−9)、パークイン浅草駐車場(浅草2丁目33−7)などコインパーキングが多数ある。

 
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