春日大社

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス 近鉄奈良駅徒歩25分。JR・近鉄奈良駅から奈良交通バスで春日大社本殿下車すぐ。駐車場あり(乗用車1000円)。→詳細
概要 春日大社は奈良県奈良市春日野町、奈良公園内にある神社。
786年(神護景雲二年)、藤原氏の氏神を祀る神社として創建され、藤原氏の氏寺である近くの興福寺と一体になって栄えた。
境内には宝物殿、幣殿、宝庫、宝物殿や末社の榎本神社、多賀神社などがあり、主な行事には、春日祭(3月13日)、菖蒲祭(5月5日)、夏越大祓式(6月30日)、春日若宮おん祭(12月15~18日)がある。
1998年(平成十年)には「古都奈良の文化財」の構成要素としてユネスコの世界遺産に登録さている。
見どころ 本殿宝物殿多賀神社若宮神社萬葉植物園
拝観時間 4月-9月→6時~18時。10月-3月→6時30分~17時。本殿前特別参拝→8時30分~16時。
拝観料 本殿特別拝観500円。宝物殿400円(改修のため休館中)。萬葉植物園500円。
サイト http://www.kasugataisha.or.jp/
住所 奈良県奈良市春日野町160

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春日大社の見どころ

本殿

春日大社では二十年ごとに行われる式年造替の制がとられていたが、現存の本殿は1863年(文久三年)の建立で、以降は修築のみとなっている。4殿が並び立つ形式で、全て切妻造の屋根に千木・鰹木を置き、社殿に向けて木階をかけてその上部を階隠で覆った春日造と呼ばれる様式で建てられている。第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神を祀る(4神を総称して春日神ともいう)。国宝に指定。

宝物殿

春日大社に伝わる貴重な文化財を収蔵・展示するための施設。主な収蔵品には、本宮御料古神宝類や 若宮御料古神宝類、金装花押散兵庫鎖太刀(足利義満奉納)、黒漆平文飾剣、赤糸威大鎧(伝源義経奉納)、黒韋威矢筈札胴丸(伝楠木正成奉納)、金地螺鈿毛抜形太刀(いずれも国宝)や春日神の霊験を描いた春日権現験記、春日宮曼荼羅などがある。

多賀神社

本殿近くにある末社で、伊弉諾命(イザナギノミコト)を祀る。俊乗房重源(1121-1206年)が、東大寺の大仏殿を再建する際に参拝して寿命を延ばしてもらったとの伝承があり、長寿・延命の神として崇敬されている。

若宮神社

本殿の東側に位置する摂社で、比売神の御子神である天押雲根命を祀る。社殿では1135年(長承四年)、洪水や飢饉を治めるために関白藤原忠通が現在地に本殿と同じ形式で社殿を創建したとされるが、実際には春日祭祀への参与を求める興福寺の衆徒によって創建されたという。12月15~18日には春日若宮おん祭が行われる。

春日大社神苑 萬葉植物園

春日大社境内にある植物園で、萬葉植物園は「万葉集」に登場する植物を中心に植栽する。万葉植物園としては最も古く、1932年(昭和七年)、昭和天皇の下賜金によって約300種の萬葉植物を植えて開園。約9000坪という広大な敷地は、萬葉園・五穀の里・ 椿園・藤の園に分かれ、様々な植物を楽しむことができる。主なところでは、ウメ、カキツバタ、シダレ桜、ツツジ、フジ、ヤマブキ、アジサイ、ショウブ、ハス、彼岸花、紅葉など。藤の花は春日大社の社紋であり、藤園には20品種約200本もの藤の木が植えられている。

御朱印

種類 ①「春日大社」の御朱印、②「夫婦大國社」の御朱印、③「金龍神社」の御朱印、④「若宮神社」の御朱印、⑤若宮十五社めぐりの御朱印。
入手場所 ①は本社近くの朱印所、②~⑤は夫婦大国社の朱印所?。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 シンプルなデザインのオリジナル御朱印帳があります。
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歴史

藤原氏の氏神を祀る神社として768年(神護景雲二年)、藤原永手が創建したとされるが、祭神4柱が揃うのがこの頃で、それ以前から祭事は行われていたようである。主祭神とされる武甕槌命(常陸鹿島神)は常陸の鹿島神宮から白鹿に乗って上洛し、神山御蓋山山頂浮雲峰に鎮まったといい、経津主命(下総香取神)は下総の香取から、天児屋根命(河内枚岡神)と比売神(同)は河内の枚岡神社から勧請された。
遷都後、平城京には大原野神社、平安京には吉田神社が藤原氏関係の神社として創建されたが、春日神社は当地に留まり、藤原氏の氏寺である興福寺と一体化が進み、しばしば春日神木を掲げて朝廷に強訴(神木動座)を行ったため南都北嶺と恐れられた。この頃には神仏習合も進み、祭神の本地仏として釈迦、薬師、地蔵、観音(不空絹索観音)が充てられた。また、藤原氏の荘園を中心に分祀が行われたので、全国に春日神社ができることとなった。
1180年(治承四年)の平重衡による南都焼討の際は、焼かれた興福寺とは異なりほとんどダメージを受けなかった。1382年(永徳二年)には失火により全焼するが、室町幕府第三代将軍足利義満の支援によって復興された。
興福寺は事実上、大和国一国を支配していたが、戦国時代になると支配権を失い、それに伴って春日社も衰微した。しかし、江戸時代になると徳川幕府に保護され復旧が進められた。
明治に入ると、神仏分離令によって仏教的要素は一掃され、上知で境内の縮小を余儀なくされたが、近代社格制度の元では官幣大社に列せられ、春日祭は勅祭とされた。
戦後は神社本庁の別表神社となり、1946年(昭和二十一年)、春日神社から春日大社に改称。1998年(平成十年)には「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産に登録された。

 
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