金峯山寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(金峯山修験本宗)
アクセス 近鉄吉野線吉野駅から徒歩3分の千本口駅で吉野大峯ケーブルに乗り吉野山下車徒歩10分。→詳細
概要 金峯山寺は奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗の寺院。
金峯山(吉野山から大峯山山上ケ岳一帯の総称)は古くから山岳信仰の場として知られ、寺伝によれば7世紀後半に役行者(役小角)によって開かれたとされ、修験道独特の蔵王権現を祀る。
明治になると神仏分離令の影響で修験道が禁止されて大打撃を受けたが、その後復活して、1948年(昭和二十三年)からは金峯山修験本宗総本山となっている。
境内には国宝の蔵王堂や二王門があり、2004年(平成十六年)に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されている。
見どころ 銅鳥居仁王門蔵王堂
拝観時間 8時30分~16時30分
拝観料 境内自由(蔵王堂は大人500円、中高生400円、小学生300円)
サイト http://www.kinpusen.or.jp/
住所 奈良県吉野郡吉野町吉野山2498

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金峯山寺の見どころ

銅鳥居(かねのとりい)

総門(黒門)の奥に位置する高さ7.6メートルの鳥居。室町時代の建立で重要文化財にしていされている。仏教寺院なのに鳥居があるのは神仏習合期の名残り。

二王門

境内入り口に位置する入母屋造本瓦葺きの重層門。
現存の建物は1456年(康正二年)の再建で、国宝に指定されており、門の左右には1339年(延元四年)に仏師康成によって造られら仁王像(重文)が安置されている。

蔵王堂(本堂)

正面36m側面36m、高さ34m入母屋造檜皮葺の巨大な建物で、木造の古建築としては東大寺大仏殿に次いで大きい。
最初にいつ建てられたのかは不明だが、1348年(貞和四年)、足利方の高師直軍に焼かれたのをはじめ6度にわたり焼失し、現存の建物は1592年(天正二十年)の再建。
内部厨子には高さ670~790cmという巨大な本尊の蔵王権現像3体(室町時代の作、重文)や鎌倉時代に造られて像高430cmの蔵王権現像(重文)などを安置する。
本尊は秘仏で不定期にある特別御開帳期間以外は見ることができない(修理勧進のため当面は春と秋に1ケ月程度公開予定とのこと。特別拝観料大人1000円、中高生800円、小学生600円)。
蔵王権現は修験道で信仰される日本独自の仏で、釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊の合体したものとされる。

桜は蔵王権現の御神木とされ、古くから保護されたり植えられたりしてきたため現在吉野山には3万本を超える桜の木があると言われており、春には一面が桜色に染まる。
また本堂前の一角は、大塔宮護良親王(後醍醐天皇の皇子で倒幕運動に参加)が北条軍に囲まれたさいに最後の酒宴を開いて親王の身代わりとなった忠臣村上義光と分かれた場所とされ、後にそれを記念して植えられた「四本桜 」がある。

御朱印・御朱印帳

種類 ①金峯山「蔵王堂」、②役行者霊蹟札所「蔵王堂」、③神仏霊場奈良二十六番「蔵王堂」、④「蔵王大権現」、⑤「愛染明王」、⑥「十一面観音」。
貰える場所 いずれも蔵王堂(本堂)内にある納経所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 蔵王堂が描かれたオリジナル御朱印帳があります。
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歴史

寺伝によれば、金峯山での修行中の役行者のもとに蔵王権現が現れたので、その姿を桜の木に刻んで山上(大峯山山上ケ岳)と山下(吉野山)に祀ったのが始まりとされるが、役行者自体が伝説的な人物であり詳細は不明。
当初は東大寺の末寺だったが、894年(寛平六年)頃、醍醐寺を開いたことでしられる聖宝(理源大師)が山上に御堂を建て中興したため真言宗の影響が強くなった。
中世には多くの子院を持つ大寺に発展し多数の僧兵を擁したが興福寺との対立が深まり、やがて支配下となった。
鎌倉時代には頼朝と対立した義経が吉野に下り、南北朝時代には後醍醐天皇がこの地に南朝を開いたのは僧兵の戦力を頼ったためともいわれている。
近世に入ると戦国大名や本願寺と争い、1534年(天文三年)、一向宗徒によって焼き討ちを受けたが、江戸時代までに復興された。また1614年(慶長十九年)には徳川家康の命で天台宗の天海が金峯山寺の学頭となったため、日光輪王寺の支配下に置かれることとなった。
明治になり神仏分離令が出され、更に修験道が禁止されると神仏一体として信仰していたため大打撃を受け、支院は神社になった吉水院(吉水神社)以外は廃絶し、1874年(明治七年)には金峯山寺自体も廃寺となった。
1886年(明治十九年)には天台宗修験派の寺院として復活したが、山上の蔵王堂は大峯山寺として分離された。
1948年(昭和二十三年)、天台宗より独立して金峯山修験本宗を形成し現在にいたる。
2004年(平成十六年)に「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素としてユネスコの世界遺産に登録されている。

 
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