深大寺

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


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種類 寺院(天台宗)
アクセス 京王線調布駅、つつじヶ丘駅・JR中央線吉祥寺駅、三鷹駅からバスを利用。専用駐車場なし。→詳細
概要 東京都調布市深大寺元町にある天台宗の寺院で正式には浮岳山昌楽院深大寺という。
733年(天平五年)に満功上人という僧が創建したとされ、当初は法相宗だったが859年(貞観元年)頃天台宗に改宗したと伝えられる。
自然豊かな境内には本堂、元三大師堂、釈迦堂、深沙堂などが建ち並び、参道には名物の深大寺そばを出す店が軒を連ねる。
主な行事には、初詣(1月1~7日)、節分会・豆まき(2月3日)、厄除元三大師大祭・だるま市(3月3、4日)、深大寺鬼燈まつり(7月中旬)、そば観音供養(10月14日)、除夜の鐘(12月31日)がある。
見どころ 山門鐘楼本堂元三大師堂深沙堂釈迦如来倚像深大寺そば
拝観時間 9時~17時
拝観料 境内自由
サイト http://jindaiji.or.jp/
住所 東京都調布市深大寺元町5-15-1

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深大寺の見どころ

山門

境内入り口に位置する「浮岳山」の扁額を掲げる藥医門。
1695年(元禄八年)の建立で、他の建物と違い1865年(慶応元年)の火災でも焼けずに残ったため境内に現存する最古の建造物となっている。

鐘楼

1829年(文政十二年)建立の旧鐘楼は幕末の火災で焼失し、現存するのは1870年(明治三年)の再建。
梵鐘は1376年(永和二年)に鋳造されたものが吊るされていたが現在は釈迦堂に移され、2001年(平成十三年)に新たに造られた鐘が吊るされている。

本堂

正面10間、側面8間、入母屋造本瓦棒葺き。1919年(大正八年)の再建。内部には鎌倉時代前期の作とされる本尊の阿弥陀如来像を安置する。

元三大師堂

第18代天台座主で天台宗中興の祖として知られる元三大師(慈恵大師・良源)を祀る御堂。
内部には良源自刻と伝えられる元三大師像を安置し、厄除け・商売繁盛・良縁成就・交通安全などにご利益があるとして信仰を集めている。秘仏であり50年に1度開帳される。

深沙堂

現存の建物は1968年(昭和四十三年)の再建。堂内に深大寺の寺名の由来である深沙大王像を安置するが、秘仏であり直接拝観することはできない。

釈迦如来倚像

釈迦堂に安置される仏像で、1909年(明治四十二年)に元三大師堂の下から発見された。
由来は全く不明だが白鳳時代(7世紀末~8世紀初め)の作とされ、国の重要文化財に指定されている。

深大寺そば

名物として知られる「深大寺そば」は江戸時代初めに付近の農民から提供されたそば粉を使ってつくられ始めたといい、本山である上野の寛永寺に献上したところ好評を博した。
また江戸時代後期にはたまたま訪れた大田南畝(蜀山人)が深大寺そばを食して大変気に入り、色々なところで紹介してので文人達に広く知られるようになった。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「白鳳佛」、②調布七福神「毘沙門天」、③「無量寿」、④「如意輪観世音」、⑤「元三大師」。
貰える場所 本堂横の納経所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 釈迦如来倚像が描かれた御朱印帳があります。
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歴史

創建については以下のような話が伝えられている。
開祖である満功上人の父福満は郷長右近の娘と恋愛関係となったが右近は身分の違いから反対し、娘を湖に浮かぶ島に住まわせ2人が会うことのできないようにしてしまった。困った福満が仏教の守護神である深沙大王に祈願すると湖から亀が現れ、その背に乗って島に渡ることができた。この話を聞いた右近は結婚を許し、福満は子の満功に深沙大王を祀るよう託した。
その満功が南都での修行から戻り寺を建てたのが733年(天平五年)だとされ、淳仁天皇(733-765年)から「浮岳山深大寺」の勅額を贈られたという。
その後、貞観年間(859-877年)に武蔵の国司蔵宗(国史には記されておらず不明)が反乱を起こした際に比叡山延暦寺から恵亮が派遣され調伏の祈祷が行われたのを機に法相宗から天台宗に改宗した。
以後天台密教の東国における重要道場として栄え、991年(正暦二年)には比叡山から元三大師の自刻像が迎えられた。
江戸時代にはこの元三大師像が信仰を集め、1765年(明和二年)と1816年(文化十三年)には両国の回向院で出開帳が行われている。
1646年(正保三年)と1865年(慶応元年)に大規模な火災に遭い、明治の初めには廃仏棄釈で打撃を受けたがその後復興され現在にいたる。

 
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