熊本城

熊本城城内マップ

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス JR鹿児島本線・豊肥線熊本駅から熊本城周遊バスしろめぐりんで「熊本城」下車。駐車場あり(普通車2時間まで200円、バイク100円、バス500円。
概要 熊本城は熊本県熊本市中央区本丸にある城。
豊臣秀吉の九州平定に従って肥後国を与えられた佐々成政が1588年(天正十六年)に改易となった後、肥後北半国25万を与えられた加藤清正が江戸時代初期に築城を開始し、1607年(慶長十一年)に完成。
江戸時代には熊本藩の藩庁が置かれ、1632年(寛永九年)に清正の子である加藤忠広が改易となった後は小倉藩主細川忠利が54万石で入り、以後明治を迎えるまで細川家の藩主が続いた。
維新後も建物は残されていたが、天守閣などは1877年(明治十年)の西南戦争で焼失している。
銀杏城とも呼ばれ、名古屋城大阪城とともに「日本三名城」のひとつに数えられることもある。桜の名所としても有名。
2016年(平成二十八年)の熊本地震で石垣が崩れるなどの被害を受け、現在復旧工事が進められている。
見どころ 桜の馬場城彩苑石垣本丸御殿天守宇土櫓飯田丸五階櫓熊本城稲荷神社加藤神社
拝観時間 8時~0時(現在入れるのは城彩苑周辺のみ)
拝観料 現在熊本地震からの復旧工事中により内部拝観不可。
サイト https://kumamoto-guide.jp/
住所 熊本県熊本市中央区本丸1−1

熊本城の見どころ

桜の馬場城彩苑

桜の馬場跡にある観光施設。飲食店や土産物屋が軒を連ね、歴史文化体験施設「湧々座」(大人300円、小中学生100円)もある。

石垣

熊本城は堅牢な石垣で有名で、下部は傾斜が緩やかだが上部にいくほど垂直になり、容易には登ることができないことから「武者返しの石垣」とも呼ばれる。2016年(平成二十八年)の熊本地震で一部が崩れている。

本丸御殿

城主の住居などとして使われていた建物だが、1877年(明治十年)の西南戦争で焼しており、現存の建物は2008年(平成二十年)の再建。床下に石垣で固められた地下通路が通る変わった構造となっている。

天守

清正時代に築かれた天守閣はやはり西南戦争で焼失しており、現存の建物は1960年(昭和三十五年)の再建。3重6階地下1階の大天守、3重4階地下1階の小天守から成りる。

宇土櫓

天守の西側に位置する3層5階地下1階建ての櫓。天守の匹敵する建物であることから「第三の天守」とも呼ばれる。築城当時にものが残っており、国の重要文化財に指定されている。

飯田丸五階櫓

飯田丸跡に建つ五階櫓。現存の建物は2005年(平成十四年)に再建されたもの。

熊本城稲荷神社

城内にある神社。加藤清正が肥後国に入国する際に稲荷神を勧請して祀ったのが始まりと伝えられる。熊本城が描かれたかっこいい御朱印帳が販売されている。

加藤神社

熊本藩初代藩主加藤清正公を祀る神社。清正の霊廟は本妙寺にあったが、1868年(明治元年)の神仏分離令により、新たに神社を建てて祀ることが決まり、城内に錦山神社が創建された。この神社は西南戦争で焼失したが、後に再建され、1909年(明治四十二年)に加藤神社と改称して現在に至る。

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歴史

熊本城が築城される以前、当地には室町時代の文明年間(1469-86年)頃に菊池氏の一族である出田秀信が築いた千葉城と大永・享禄年間(1521-1531年)頃鹿子木親員が築かれたとされる隈本城があり、1587年(天正十五年)、豊臣秀吉が九州に出兵した際には城久基が隈本城城主だったが、秀吉に屈して退去したため、秀吉から肥後国を与えられた佐々成政が新たな城主となった。
成政は肥後国人一揆を鎮圧できなかった責任を負わされ、1588年(天正十六年)に切腹を命じられ、その後、肥後半国を与えられた加藤清正が入城。
清正は1600年(慶長五年)の関ヶ原の戦いでは東軍につき、戦後、西軍に属した小西行長の領土だった南肥後も得て、肥後一国の大名となり、1601年(慶長六年)から本格的に築城を開始し、千葉城跡、隈本城を取り込む形で熊本城が築かれた。
完成後熊本藩の藩庁として使用され、清正の死後は子の加藤忠広が藩主となったが、1632年(寛永九年)に改易を命じられ、代わりに豊前小倉藩主だった細川忠利が入城した。
以後明治維新まで細川家の藩主が続き、維新後は陸軍の駐屯地となり、西南戦争の際には戦闘の舞台となっている。

 
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