四天王寺

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 寺院(和宗)
アクセス JR・大阪市営地下鉄天王寺駅から徒歩12分。大阪市営地下谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅から徒歩5分。近鉄南大阪線阿部野橋駅から徒歩14分。車の場合は南大門前の有料駐車場を利用(200円/30分)→詳細
概要 四天王寺は大阪府大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の寺院。
593年(推古天皇元年)に聖徳太子によって建立されたと伝えられ、蘇我馬子の建てた飛鳥寺と共に日本最古の本格的な仏教寺院のひとつである。
平安時代以降度々災害に遭い古い建造物は少ないが、今日も広大な敷地を有し、南大門・中門・五重塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ四天王寺式と呼ばれる伽藍配置も健在である。
主な行事には、どやどや(1月14日)、節分星まつり(2月3日)、春季彼岸会(春分の日前後)、聖霊会(4月22日)、秋季彼岸会(秋分の日前後)、日想観(9月23日)、除夜の鐘(12月31日)がある。
見どころ 六時堂石舞台亀井堂講堂五重塔金堂石鳥居宝物館
拝観時間 境内自由。諸堂内部・庭園は4月-9月→8時30分~16時30分、10月-3月→8時30分~16時。六時堂8時30分~18時。
拝観料 中心伽藍・庭園→大人300円、中高生200円。宝物館→大人500円、中高生300円。
サイト http://www.shitennoji.or.jp/
住所 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

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四天王寺の見どころ

六時堂(六時礼讃堂)

境内中央に位置する建物で、昼夜6回にわたって諸礼讃をすることからこの名前がある。
堂内には薬師如来像、四天王像などを安置。1623年(元和九年)の建立で重要文化財に指定されている。

石舞台

六時堂前の亀の池に架かっている石橋の上にある石造りの舞台。
聖徳太子の命日である4月22日に行われる聖霊会では現在もこの舞台の上で舞が披露される。
現存する舞台は1808年(文化五年)の再建で、住吉大社の石舞台、厳島神社の板舞台と共に日本三舞台のひとつとされている。

亀井堂

現存の建物は1955年(昭和三十年)の再建。
中央には金堂の地下から湧き出た白石玉出の霊水を貯めた井戸があり、ここに回向(供養)を済ませた経木(供養のための経文を書いた薄い木の板)を流すと極楽往生が叶うといわれている(経木流し)。

講堂

四天王寺の中心をなす七堂伽藍の一つ。
夏堂と呼ばれる西側部分に阿弥陀如来坐像、冬堂と呼ばれる東側部分に十一面観世音菩薩像を安置する。

五重塔

現存する塔は8代目で1959年(昭和三十四年)に飛鳥時代の様式を参考にして再建されたもの。
内部には釈迦三尊壁画や四天王像が祀られている。

金堂

五重塔、講堂などと同じく1959年(昭和三十四年)の再建。
内部には中央に聖徳太子と同一視される本尊救世観音菩薩像を安置し、四隅には仏壇を守護するように四天王像が配置されている。「仏伝図」の壁画は日本画家の中村岳陵(1890-1969年)によるもの。

石鳥居

境内西側の入り口に位置する「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」(釈迦が説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心であるとの意味)と書かれた扁額を掲げる石造鳥居。
1294年(永仁二年)にそれまでの木造鳥居を忍性が改めたものであり、境内最古の建造物。

宝物館

四天王寺に伝わる文化財を収蔵、展示する施設。
四天王寺所蔵の文化財には、丙子椒林剣(国宝、東京国立博物館に寄託)、七星剣(国宝、東京国立博物館に寄託)、懸守(国宝)、四天王寺縁起(国宝)、金銅威奈大村骨蔵器 -(国宝、京都国立博物館に寄託)、扇面法華経冊子(国宝)、金銅観世音菩薩半跏像(重文)、舞楽面(重文)、千手観音及二天箱仏(重文)など貴重なものが多く、これらの一部は宝物館で拝観することができる(展示内容は定期的に変わるので要確認)。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「大悲殿」、②「聖徳太子」、③「西山国師」、④「布袋尊」、⑤「薬師如来」、⑥「三面大黒天」、⑦「役優婆塞」、⑧「普賢菩薩」、⑨「円光大師」、⑩「亀井不動尊」、⑪御詠歌の御朱印、⑫「地蔵菩薩」、⑬「青面金剛童子」など。
入手場所 ①~⑫は極楽門北側の納経所。⑬は庚申堂。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 あり。
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歴史

587年(用明天皇二年)、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間で戦闘が発生し、この時蘇我氏派に属していた聖徳太子は「もしこの戦いに勝つことができたなら必ず四天王を祀って寺を建てる」と祈願した。
こうして建立されたのが四天王寺であり、593年(推古天皇元年)に摂津難波の荒陵(あらはか)で造営が開始されたと「日本書紀」は伝えている(初めから現在地に建てられたとする説と、3キロほど離れた玉造に建てられ後に現在地に移ったとする説がある)。
平安時代後期から鎌倉時代にかけて太子信仰が盛んになると太子建立の寺として崇敬を集め最澄や空海、良忍、親鸞、時宗などの著名な僧も当寺に参篭した。
また貴族や皇族からも信仰を集め、寺には後醍醐天皇が自ら写経した「四天王寺縁起」が伝えられている。
しかし、836年(承和二年)に落雷で焼失したのをはじめ度々災害に遭い、織田信長の石山本願寺攻めや1614年(慶長十九年)の大阪冬の陣でも破壊されている。
明治に入ると神仏分離令の影響から四天王寺に属していた神社と切り離され、廃仏毀釈の風潮もあり厳しい状況に陥ったが、人々の篤い支援で持ちこたえた。
しかし、1934年(昭和九年)の室戸台風や1945年(昭和二十年)の大阪大空襲で被害を受け、現存するほとんどの建物は戦後に再建されたものである。
創建当初まだ宗派というものが存在せず、後には主に天台主に属したが、1946年(昭和二十一年)に和宗を立ち上げて独立している。
 
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