喜多院

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


0

種類 寺院(天台宗)
アクセス 西武新宿線本川越駅から徒歩15分。東武東上線川越市駅から徒歩18分。東武・JR川越駅から徒歩20分。有料駐車場あり。
概要 喜多院は埼玉県川越市にある天台宗の寺院。
平安時代のはじめに第3代天台座主慈覚大師円仁が創建したと伝えられ、荒廃した時期もあったが、江戸時代には幕府の庇護のもとで栄え今日も貴重な文化財が多く残る。
境内は広々としており、ウメ、桜、ツツジ、サツキ、あじさい、紅葉などの植物も楽しめる。
主な行事には、正月初護摩(1月1日)、初大師・だつま市(1月3日)、節分会(2月3日)、桜まつり(3月中旬~4月初旬)、宝物特別展(4月下旬~5月上旬)、小江戸川越菊まつり(11月)がある。
見どころ 山門鐘楼門書院客殿慈恵堂慈眼堂五百羅漢像多宝塔仙波東照宮日枝神社
拝観時間 3月1日-11月23日→8時50分~16時30分、11月24日-2月末日→8時50分~16時。年末年始など休みの期間あり、
拝観料 境内自由(書院、本堂などは大人400円、小人200円)。
サイト http://www.kawagoe.com/kitain/
住所 埼玉県川越市小仙波町1-20-1

[gad]

喜多院の見どころ

山門

駐車場近くの入口に建つ切妻造本瓦葺の四脚門。
1632年(寛永九年)に建てられたものが1638年(寛永十五年)の川越大火でも焼けずに残り、境内最古の建造物となっている。欄間には龍、虎、唐獅子の彫刻が施されている。重要文化財に指定。

鐘楼門

山門の手前に位置する入母屋造本瓦葺の重層門で、龍や鷹の彫刻が施された2階には元禄十五年(1702年)の銘を持つ銅鐘が吊るされている。
建立年代は正保年間(1644~48年)とされるが1638年(寛永十五年)以前のものとする説もある。銅鐘は重要美術品、建物は重要文化財に指定。

書院

庫裏・書院・客殿はいずれも1639年(寛永十六年)に江戸城内にあった建物を移築したもの。
書院内部にはかつて三代将軍徳川家光の生母である春日局使用していた「春日局化粧の間」と呼ばれる部屋などがある。

客殿

書院と繋がる正面八間、側面五間入母屋造杮葺の建物。
三代将軍徳川家光が生まれた場所であることから「家光誕生の間」と呼ばれる部屋があり、狩野探幽筆と伝えられる襖絵が飾られ、天井には彩色による81枚の花模様が施されている。

慈恵堂(本堂)

喜多院の本堂にあたる建物で現存のものは1639年(寛永十六年)の再建。
堂内には厄除け大師として知られる第18代天台座主慈恵大師(良源)の像や不動明王像を安置し、入口には正安二年(1300年)の銘を持つ銅鐘を吊るす。

慈眼堂

当寺の復興に尽力した天海僧正を祀るため徳川家光に命で1645年(正保二年)に建てられた建物。
慈眼堂の建つ小高い丘は6~7世紀頃の古墳の跡で、裏手には天海をはじめとする歴代住持の墓もある。

五百羅漢像

境内の一角には川越北田島村の志誠という百姓の発願で1782~1825年(天明二年~文政八年)にかけて造られたとされる五百羅漢(釈迦死後仏典編集に集まったとされる500人の弟子を指す)像533体及び釈迦如来像、文殊菩薩像、普腎菩薩像、地蔵菩菩薩像、阿弥陀如来像の計538体の石仏が安置されている。
表情やポーズはそれぞれ異なり、夜中に羅漢の頭をなでると一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのという伝説がある。
一部破損している像が多いのは明治初めの廃仏棄釈の際に破壊されたため。

多宝塔

阿弥陀如来像を安置する塔。
1639年(寛永十六年)に現在の駐車場辺りに建てられたのが始まりで、道路の拡張工事に伴って1912年(明治四十五年)に1層の建物に改築されたうえ慈恵堂と庫裏の間に移築されたが、1975年(昭和五十年)に元の形に戻され現在地へ再移築された。

仙波東照宮

徳川家康を祀る神社。家康の死後天海が家康像を造って本堂に祀ったのが始まりで1633年(寛永十年)に現在地に社殿が建てられた。
1640年(寛永十七年)再建の本堂、拝殿、随神門などはいずれも重要文化財。元は喜多院と一体の存在だったが明治の神仏分離令により現在は独立した神社となっている。

日枝神社

駐車場の近くにある神社で大山咋神を主祭神とする。
慈覚大師が当寺を創建する際に比叡山から日吉大社を勧請したのが始まりとされる。
現在永田町にある日枝神社は太田道灌が江戸城の鎮守として川越山王社と呼ばれた当社を勧請したのが起源。

御朱印・御朱印帳

種類 ①厄除「川越大師」の御朱印、②関東三十六不動霊場第二十八番「川越大師」の御朱印、③川越七福神「大黒天」の御朱印(仙波東照宮・日枝神社にも御朱印があります)。
貰える場所 本堂内または庫裏の拝観受付(関東三十六不動霊場は拝観受付のみ?)。
値段 1件300円。
オリジナル御朱印帳 葵と多宝塔が描かれた御朱印帳があります。サイズは18×12cm、値段は1300円。
広告

歴史

仙芳仙人という人物が法力により当地周辺を干拓し尊像を安置したのが始まりという伝説もあるが、830年(天長七年)に慈覚大師円仁が淳和天皇の勅命により創建した星野山無量寿寺が実質的な始まりとされる。
その後、無量寿寺は戦乱などにより衰微し荒廃した状態となっていたが1296年(永仁四年)に尊海という僧が仏地院(中院)、多門院(南院)、仏蔵院(北院)を建てて再興し、1301年(正安三年)には朝廷の勅許を受けて東国における天台宗の中心寺院とみとめられた。またこの頃から天台宗中興の祖慈恵大師良源を祀るようになった。
1537年(天文六年)に川越城を攻めた北条氏綱軍の兵火にかかりほとんど建物を焼失するも、1599年(慶長四年)に徳川家康のブレーンである天海が北院の住持となると幕府の保護を受けて発展し、1613年(慶長十八年)には関東天台総本山と定められた(一時東叡山を称したが上野に寛永寺が創建されると星野山に復した。またこの頃喜多院を寺号とした)。
1638年(寛永十五年)の大火で多くの堂宇を焼失したが川越藩主堀田正盛の支援で再建され、今日も貴重な文化財が多く残る。

 
[gad45]

広告