石山寺

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


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種類 寺院(東寺真言宗)
アクセス 京阪電鉄石山坂本線石山寺駅徒歩10分。駐車場あり(大型バス2000円、小型バス1400円、乗用車600円)→詳細
概要 石山寺は滋賀県大津市にある東寺真言宗の寺院。
747年(天平十九年)に聖武天皇の勅願で良弁が創建したと伝えられる古刹であり、平安時代以降は館音霊場として朝野の信仰を集めた(西国三十三所観音霊場第13番札所)。
また「蜻蛉日記」「更級日記」「枕草子」「和泉式部日記」などに登場し、紫式部は「源氏物語」の一部を当寺で書いたと伝えられるなど平安文学ゆかりの寺としても知られる。
境内は自然豊かで、梅、ツツジ、ハナショウブなどの花々が植えられ、秋には紅葉のライトアップも行われる。
主な行事には、初詣(1月1~3日)、 初不動(1月28日)、節分星祭り(2月3日)、梅つくし(2月11日~3月21日)、 お花祭(5月8日)、秋月祭(9月15日・16日)、紅葉ライトアップ(11月12日~27日)、終不動(12月28日)がある。近江八景のひとつ「石山秋月」。
見どころ 東大門硅灰石本堂多宝塔鐘楼月見亭豊浄殿
拝観時間 8時~16時30分
拝観料 入山料→一般・中高生600円、小学生250円。本尊拝観→一般・中高生600円、小学生250円。特別展示→一般・中高生300円、小学生150円。セット券→一般1200円、高校生以下はなし。
サイト http://www.ishiyamadera.or.jp/
住所 滋賀県大津市石山寺1-1-1

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石山寺の見どころ

東大門

境内入り口に位置する重層門。
1190年(建久元年)に源頼朝の寄進で建立されたものだが、慶長年間(1596-1615)に大幅に修理されている。

硅灰石

本堂近くにある珪灰石という鉱物でできた巨大な岩。
石山寺の寺名の由来であり、「石山寺珪灰石」として日本の地質百選にも選ばれている。

本堂

外陣と内陣からなり、内陣は平安時代中期の建立の滋賀県内最古の建造物であり、外陣(礼堂)は1602年(慶長七年)に豊臣秀吉の側室淀殿の寄進により増築されたもの。
内陣に安置されている本尊如意輪観音半跏像(重文)は内陣と同じ頃に造られたものと考えられ、 安産・福徳・縁結びにご利益があるといわれているが、秘仏であり直接拝観できるのは33年に1度となっている(直近では2016年)。建物は国宝に指定されている。

多宝塔

多宝塔も源頼朝の寄進で1194年(建久五年)に建てられたもの。
現存する最古の多宝塔だといわれ、高野山金剛三昧院多宝塔、広島県尾道市の浄土寺多宝塔と共に日本三大多宝塔に数えられている。
内部には快慶作の大日如来像を安置。国宝に指定。

鐘楼

建物は鎌倉時代後期建立と考えられており、重要文化財に指定されている。

月見亭

その名の通り月を鑑賞するための建物であり、後白河上皇の行幸の際にはじめて建てられたといわれる。
石山寺からは見る月は近江八景のひとつに数えられている。

豊浄殿

石山寺に伝わる寺宝などを収蔵する建物で、毎年春と秋に「石山寺と紫式 部展」が開催され、江戸時代につくられた「源氏物語図屏風」などが公開される。

御朱印・御朱印帳

種類 ①西国三十三所第十三番「大伽藍」、②西国三十三所御詠歌の御朱印、③近江西国霊場第三番「大伽藍」、④びわ湖百八霊場湖西第一番「大伽藍」、⑤「不動尊」。
貰える場所 本堂内納経所。
値段 1件300円。
オリジナル御朱印帳 紫式部が描かれた御朱印帳があります。
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歴史

747年(天平十九年)、聖武天皇の勅願により華厳宗の僧良弁が聖徳太子の念持仏という如意輪観音像を当地に祀ったのが始まりとされ、761年(天平宝字五年)に造東大寺司(東大寺の造営と管理の為につくられた役所)の下部組織造石山院所によって伽藍が整備された。
また当寺所蔵の石山寺縁起絵巻(重文)には、「東大寺の大仏建立のための金が足りなくて困っていた聖武天皇のために良弁が金峯山に籠って祈願を行うと蔵王権現が現れ、瀬田の霊山に行くように告げた。瀬田に行ってみると比良明神の化身である老人が現れ、当地に案内したので、如意輪観音像を祀り祈願を続けるとほどなくして陸奥で金が発見された。この如意輪観音像が安置した岩肌から離れなくなったので、寺を建てた。」というような縁起が記されている。
このようにはじめ東大寺との関係が深かったが、平安時代中期には真言密教の寺院となり、観音霊場として信仰を集めるようになって、平安京の貴族達の間では当寺に参詣することを指す石山詣という言葉も使われた。
紫式部は 1004年(寛弘元年)、当寺に7日間参籠し、源氏物語の「須磨」、「明石」の巻のもととなるアイデアを書き留めたといわれている。
鎌倉時代のはじめには源頼朝の寄進で東大門、勝南院毘沙門堂、多宝塔などが建てられている。
1573年(天正元年)、織田信長と室町幕府最後の将軍足利義昭の争いに巻き込まれて一部の建物を焼失したが、その後、淀君や徳川家康の支援で再興され、現在につながる寺観が形成された。

 
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