奈良観光の定番、東大寺。修学旅行や海外からの観光客が必ずといっていいほど立ち寄る有名スポットですが、「大仏で有名なお寺」というイメージだけで駆け足に訪れてしまうと、境内に積み重なった1200年以上の歴史や、細部まで作り込まれた仏像の数々を見逃してしまいます。今回は、なぜ大仏が造られたのかという背景から、幾度もの焼失と再建を乗り越えてきた歴史、そして境内に点在する見どころや年中行事まで、じっくりと掘り下げて紹介します。

なぜ「大仏」は造られたのか

東大寺の大仏建立を発願したのは聖武天皇です。奈良時代、聖武天皇の治世には皇太子の相次ぐ死、藤原氏をめぐる政変、そして天平9年(737年)に大流行した天然痘など、社会不安が続いていました。当時の疫病は貴族社会にも深刻な被害をもたらし、政治の中枢を担っていた藤原四兄弟が相次いで病死するほどの惨禍だったと伝わります。こうした度重なる災いを仏の力で鎮め、国家を安寧に導こうと、聖武天皇は国分寺・国分尼寺建立の詔に続いて、大仏造立の詔を発しました。

大仏建立にあたっては、民衆から絶大な支持を集めていた僧・行基が勧進(寄付集め)に尽力したことも見逃せません。朝廷の権威だけでなく、行基のネットワークを通じて集まった民衆の労力や浄財があったからこそ、天平17年(745年)に始まった造立事業は完成にこぎつけることができました。天平勝宝4年(752年)には、インドや中国からの僧侶も参列する盛大な大仏開眼供養が営まれ、当時の東アジア随一の国際的な仏教儀礼として歴史に刻まれています。つまり東大寺の大仏は、単なる巨大な仏像ではなく、疫病や政情不安に苦しんだ時代の人々の祈りそのものが形になったものだといえるのです。

幾度もの焼失と再建の歴史

東大寺の歴史は、実は「破壊と再生」の連続でもあります。治承4年(1180年)、平氏政権と対立する南都勢力を鎮圧するために平重衡が率いた軍勢が奈良に侵攻し、その戦火が大仏殿をはじめとする伽藍の多くを焼き尽くしました。この時、大仏の頭部も焼け落ちてしまったといわれます。

焼失した大仏と大仏殿の再建に立ち上がったのが、鎌倉時代の勧進上人・重源です。重源は宋(中国)から伝わった建築様式を取り入れながら諸国を勧進して回り、頼朝ら鎌倉幕府の支援も受けて再建事業を成し遂げました。現在も国宝として残る南大門は、この重源による再建時に建てられたものです。

しかし平穏は長くは続きませんでした。永禄10年(1567年)、三好氏と松永久秀の軍勢が奈良で激突した戦の中で、大仏殿に陣を構えていた勢力への夜討ちがきっかけとなり、再び大仏殿をはじめ多くの建造物が炎上。大仏も原型をとどめないほどに溶け崩れてしまいます。それから約120年もの間、大仏は雨ざらしの状態に置かれていたと伝わります。

この苦境を救ったのが、江戸時代の僧・公慶上人です。公慶は勧進帳を掲げて全国を歩き、大仏の修復と大仏殿の再建のための浄財を集め続けました。しかし志半ばの宝永2年(1705年)、58歳でこの世を去ります。その遺志を継いだ弟子たちの手により、現在の大仏殿は宝永6年(1709年)に完成しました。今私たちが目にする大仏殿は、実に江戸時代の再建によるもので、創建当初に比べると規模はやや縮小されているものの、それでも世界最大級の木造建築であることに変わりはありません。

見どころ①:南大門と金剛力士像

境内入口に立つ南大門は、鎌倉時代に重源が再建した高さ約25メートルの大楼門です。左右に安置される金剛力士像(阿形・吽形)は国宝で、運慶・快慶ら当代随一の仏師たちが、わずか69日という驚異的な短期間で完成させたと伝わります。像高約8.4メートルという日本最大級の木造仁王像で、運慶と快慶が共同制作した唯一の作例としても知られています。屋外に安置されているため、拝観時間を気にせず24時間いつでも見学できるのも大きな特徴です。門をくぐる瞬間、見上げるほどの巨躯から放たれる迫力に、多くの参拝者が息をのみます。

見どころ②:大仏殿と盧舎那大仏

現在の大仏殿は江戸時代の再建ですが、それでも世界最大級の木造建築です。堂内に鎮座する盧舎那仏(大仏)は像高約15メートル、台座を含めると約18メートルにも及びます。幾度かの補修を経ているため、蓮華座の一部など創建当初の部材が残る箇所もあり、1200年以上にわたる歴史の重みを間近で感じられます。堂内には大仏を守る虚空蔵菩薩坐像や如意輪観音坐像、四天王のうち広目天・多聞天像なども安置されており、じっくり見て回ると想像以上に時間がかかるスポットです。柱の根元には「大仏の鼻の穴と同じ大きさ」といわれる穴が開けられており、くぐり抜けると無病息災のご利益があるとされ、子どもたちに人気の体験になっています。

見どころ③:法華堂(三月堂)―天平彫刻の宝庫

大仏殿の東の高台に建つ法華堂(三月堂)は、東大寺に現存する建物の中で最も古い建築のひとつです。もとは「羂索堂」と呼ばれ、東大寺の前身である金鐘山寺の遺構ともいわれます。毎年旧暦3月に法華会が営まれたことから「法華堂」「三月堂」と呼ばれるようになりました。堂の正面部分にあたる礼堂は鎌倉時代に重源によって新造されたもので、奈良時代の建物と鎌倉時代の建物が違和感なく一体化した美しい造りになっています。

堂内には本尊の不空羂索観音立像(国宝)を中心に、須弥壇の左右に立つ梵天・帝釈天像(国宝)、四隅で本尊を守護する四天王立像(国宝)など、奈良時代の彫刻がずらりと並び「天平の宝石箱」とも称されます。さらに本尊の背後には秘仏・執金剛神像が安置されており、開山堂の良弁僧正の命日にあたる12月16日、年に一度だけその姿を拝することができる特別な仏像です。

見どころ④:戒壇堂と四天王像

大仏殿の西に位置する戒壇堂は、僧侶に戒律を授ける「授戒」の儀式のために建てられた特別な堂です。天平勝宝6年(754年)、苦難の末に来日を果たした唐僧・鑑真が、大仏殿前に設けられた戒壇で聖武上皇をはじめとする人々に授戒を行ったことに始まります。戒壇堂自体は治承の兵火や戦国時代の火災で焼失と再建を繰り返し、現在の建物は江戸時代の享保17年(1732年)の再建です。

堂内四隅を守る四天王立像(国宝)は、奈良時代の東大寺に現存する数少ない仏像のひとつで、天平彫刻の最高傑作の一つに数えられます。眉間の皺や鼻筋、固く結ばれた口元に至るまで写実的に表現されており、静かな堂内で対峙すると、その迫力と精緻さに圧倒されます。

見どころ⑤:二月堂と「お水取り」

大仏殿の東、若草山の麓に建つ二月堂は、毎年3月1日から14日まで営まれる「修二会(お水取り)」の舞台として知られています。天平勝宝4年(752年)に始まって以来、戦乱や災害の中でも一度も途切れることなく続けられてきた伝統行事で、「不退の行法」とも呼ばれます。練行衆と呼ばれる11人の僧侶が本尊の十一面観音菩薩の前で人々に代わってあらゆる罪を懺悔し、国家の安泰や五穀豊穣、人々の幸せを祈願します。

行事のクライマックスとされるのが、夜の舞台で大きな松明を掲げて僧侶の道明かりとする「お松明」です。舞台の欄干から火の粉が滝のように降り注ぐ様は壮観で、多くの見物客が詰めかけます。二月堂の舞台からは奈良市街を一望でき、夕暮れ時の景色は東大寺随一ともいわれる絶景スポットです。

見どころ⑥:正倉院

大仏開眼供養から4年後の天平勝宝8年(756年)、聖武天皇の七回忌にあたり、光明皇后が天皇ゆかりの品々を東大寺に奉納したのが正倉院宝物の始まりです。以後、大仏開眼供養の際に使われた仏具や調度品、古文書、そして遣唐使が持ち帰った中国・インド・ペルシャなど各地の工芸品まで、約9000点もの宝物が納められてきました。校倉造の正倉院正倉は普段は非公開ですが、毎年秋には奈良国立博物館「正倉院展」が開催され、これらの宝物の一部を間近で鑑賞することができます。シルクロードの終着点とも呼ばれる正倉院の宝物群は、東大寺が単なる宗教施設にとどまらず、当時の国際交流の窓口でもあったことを物語っています。

見どころ番外編:大仏を造った鋳造技術

盧舎那大仏は像高約14.85メートル、重量は約250〜260トンにも及ぶ、世界最大級の銅造仏です。天平19年(747年)に鋳造が始まり、天平勝宝元年(749年)に鋳造そのものは完了しましたが、完成までにはおよそ10年、延べ260万人ともいわれる人手が費やされたと伝わります。当時は現在のような大型クレーンや溶接技術があるはずもなく、大陸から伝わった鋳造技術を応用し、下から上へと像を分割しながら少しずつ土で覆い、周囲に土を盛って足場代わりにしながら鋳型を重ねていく「段階的鋳造」という方法が取られました。銅を溶かすための燃料や、鋳型に使う土だけでも国内の資源を大量に動員する大事業であり、当時の日本の総力を結集した国家プロジェクトだったといえます。仕上げには水銀に金を溶かして塗り、加熱して水銀を蒸発させることで金だけを定着させる「金メッキ(鍍金)」の技法が用いられ、当時は黄金に輝く姿だったと考えられています。度重なる戦火や自然災害を経てもなお、その巨体が現代まで伝わっていること自体が、古代の技術力の高さを物語っています。

知られざる名建築:転害門と手向山八幡宮

大仏殿や南大門ばかりに目が行きがちですが、東大寺西端に建つ転害門(てがいもん)は、実は境内でもっとも古い建物のひとつです。平重衡による1180年の焼き討ちや、松永久秀による1567年の戦火など、幾度もの大火をくぐり抜けて奈良時代創建当初の姿を今に伝える、数少ない建築として国宝に指定されています。観光客で賑わう大仏殿周辺から少し離れているぶん静かで、東大寺の1200年以上の歴史をもっとも生々しく感じられる場所ともいえるでしょう。

また、二月堂のすぐそばに鎮座する手向山八幡宮も見逃せません。大仏建立にあたり、九州の宇佐八幡宮から東大寺の守護神として勧請されたのが始まりとされ、以来、大仏や伽藍を守る鎮守社として大切にされてきました。紅葉の名所としても知られ、百人一首に詠まれた菅原道真ゆかりの「手向山」の歌でも有名です。大仏殿だけで満足せず、少し足を延ばしてこうした静かな史跡を巡ることで、東大寺の奥深さをより一層味わうことができます。

奈良公園の鹿とのつながり

東大寺を訪れる際に欠かせないのが、参道や境内を闊歩する奈良公園の鹿たちです。鹿は東大寺に隣接する春日大社の祭神・武甕槌命が白鹿に乗って降臨したという伝説から「神の使い」として大切にされ、古くから殺生が禁じられてきました。国の天然記念物にも指定されており、現在も1000頭以上が奈良公園一帯で暮らしています。南大門をくぐる際や大仏殿へ向かう参道で鹿せんべいをねだられる光景は、東大寺観光の名物のひとつになっています。

プラスワンの見どころ:東大寺ミュージアム

南大門から大仏殿へ向かう参道の途中には、平成23年(2011年)に開館した東大寺ミュージアムがあります。法華堂に安置されていた日光菩薩立像・月光菩薩立像をはじめ、東大寺に伝わる仏像や絵画、寺宝の数々を、空調が管理された近代的な展示施設でじっくり鑑賞できるのが魅力です。屋外での参拝では細部まで見えにくい仏像の表情や衣文の彫りの深さを間近で確認できるため、大仏殿や法華堂を巡る前後にあわせて立ち寄ると、東大寺の仏教美術への理解がぐっと深まります。

拝観情報・アクセス

大仏殿の拝観時間はおおむね8:00〜16:30(季節により変動)で、境内の散策自体は無料ですが、大仏殿・法華堂・戒壇堂などの拝観にはそれぞれ大人500〜600円程度の拝観料が必要です。法華堂は中学生以上600円、小学生300円で、拝観時間は7:30〜17:30(11月〜3月は8:00〜17:00)となっています。JR・近鉄奈良駅からは徒歩約20分ほどで、奈良公園を抜けながら向かうのが定番のルートです。バスを利用する場合は「大仏殿春日大社前」バス停で下車すると便利です。1998年には「古都奈良の文化財」の構成資産として、ユネスコの世界文化遺産にも登録されています。

観光のベストシーズンは、新緑がまぶしい春、燃えるような紅葉に包まれる秋ですが、いずれも大仏殿周辺は大変混雑します。ゆったりと参拝したいなら、開門直後の朝一番や、夕方の閉門間際の時間帯が狙い目です。特に早朝は観光客も少なく、鹿たちがのんびりと参道を歩く姿をゆっくり眺められる、地元の人にも人気の時間帯です。大仏殿・法華堂・戒壇堂をすべて拝観する場合は、共通券などが用意されている時期もあるため、訪問前に公式情報を確認しておくと効率よく回ることができます。参道周辺には奈良の郷土料理や柿の葉寿司を提供する飲食店も多く、参拝の合間に立ち寄るのもおすすめです。

周辺のおすすめスポット:カフェ・レストラン

参拝の合間の休憩や食事にも困らないのが東大寺周辺の魅力です。いくつか定番のお店を紹介します。

東大寺門前 夢風ひろば 南大門のすぐ近くにある飲食・土産物の複合施設で、東大寺観光の拠点として立ち寄りやすい場所です。館内の「ゐざさ 東大寺門前夢風ひろば店」では、塩サバを柿の葉で包んだ奈良名物・柿の葉寿司や、笹の葉で鮭を巻いたオリジナルの「ゐざさ寿司」が味わえます。天ぷらや三輪そうめんのにゅうめん、胡麻豆腐が付く「ゐざさ天ぷらセット」が人気で、2階の茶屋席からは南大門や大仏殿の大屋根を一望できます。

天極堂 奈良本店 創業150年余り、奈良特産の吉野本葛を扱う老舗「井上天極堂」が営む葛料理専門店です。東大寺の西大門跡というゆかりの地に立ち、葛うどんや葛きり、葛スイーツなど、体にやさしい奈良ならではの味覚を楽しめます。ランチには「吉野うどんセット」が人気です。

工場跡事務室 東大寺の北側にある、築100年の建物を活用したノスタルジックな雰囲気のカフェです。ツナと卵のサンドイッチやパストラミサンドイッチのセット、ピザトースト、発酵バタートーストなど、朝食やひと休みにぴったりのメニューが揃います。奈良の茶葉を使ったドリンクも味わえます。

キッシュ専門店 Le Case 古民家を改装した落ち着いた空間で、キッシュを中心にランチやカフェ利用ができるお店です。参拝で歩き疲れた後、静かに休憩したいときにおすすめです。

柿の葉すし本舗たなか 近鉄奈良駅を出てすぐの東向き商店街入口にある老舗で、併設の「柿の葉茶屋」では柿の葉寿司や奈良の地酒も楽しめます。東大寺からの帰り道、駅前で奈良土産を買いたいときに立ち寄りやすい立地です。

いずれのお店も奈良公園から徒歩圏内にあるため、大仏殿や二月堂を巡ったあとの休憩スポットとして組み込みやすく、拝観と合わせて奈良らしい味覚も楽しめるルート作りができます。

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まとめ

東大寺は、疫病や政変に揺れた奈良時代の祈りから始まり、平安末期・戦国時代の二度の大火、そして江戸時代の粘り強い勧進によって今日まで守り継がれてきた「再生の物語」を体現するお寺です。大仏の壮大さだけでなく、南大門の金剛力士像、法華堂や戒壇堂に残る天平彫刻、千年以上続く修二会、正倉院に眠るシルクロードの宝物、さらには転害門や手向山八幡宮といった静かな史跡まで、一つひとつの見どころに込められた歴史の重層性を意識しながら歩くと、奈良観光の定番スポットがまったく違った表情を見せてくれるはずです。

「大仏を見た」で終わらせず、境内をひと巡りしてみることをおすすめします。焼失と再建を繰り返しながらも1200年以上にわたって祈りの場であり続けてきた東大寺には、一度の参拝では語りつくせないほどの物語が積み重なっています。次に奈良を訪れる際は、ぜひ本記事で紹介した見どころを片手に、ゆっくりと時間をかけて歩いてみてください。


参照:東大寺の御朱印と御朱印帳 ∞ ぶらぶらマップ奈良市周辺の観光情報 ∞ ぶらぶらマップ

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